富岡市の暮らしと移住のWEBマガジン
まゆといと

2020.06.22 移住-Iターン

まゆといと編集部員の移住定住物語 〜ナカヤマ編〜

こんにちは。

まゆといと編集部員のナカヤマです。

まゆといとインスタグラムの中の人もやっています。

いつもご覧いただき、ありがとうございます!

 

 

↓最初の投稿に、簡単な自己紹介を書きました。読んでいない方はどうぞ。

はじめまして!

 

 

まゆといとは今年の春から、2年目に突入。

昨年度は取材を通してたくさんの人に出会い、お話を聞いていく中で、自分でもびっくりするほど富岡のことが好きになれました。

 

その理由は、富岡で生まれた様々なドラマを疑似体験したことで、富岡への思い入れが強くなった、というのがひとつ。

もうひとつは、取材に協力してくださった皆さんのことを好きになってしまったため、「好きな人がたくさんいる場所=富岡」になったから。

 

これから先もどんな出会いがあるのか、そして出会った人たちと一緒にどんなことができるのか、とてもワクワクしています。

 

 

仕事場でもある自宅は、富岡市の南の方。緑に囲まれ、鳥のさえずりがBGMです。

 

 

 

そして私事ですが、この5月で富岡での生活が10周年を迎えました!

 

 

なぜ富岡で暮らすことになったの?

富岡の印象はどう?困ったことはあった?

10年間で変化はあった?

…などなど、普段私が皆さんに聞いていることを、この機会に書いてみたいと思います。

 

 

 


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放浪生活から定住へ

 

 

生まれも育ちも埼玉県。遊ぶのも学ぶのも、都内に行くのが当たり前。

卒業後は都内の駅近物件に住み、キラキラ東京ライフを満喫☆彡

仕事の疲れを癒やすため、休暇で訪れた沖縄の離島で人生観に変化が!?

社会勉強のためこれまでの全てを白紙にし、47都道府県を巡る旅へ―――

 

というのが、20代前半までの私の歩みです。

 

20代後半はアルバイトと一人旅を繰り返し、美しい風景に感動したり、人々の多様な価値観に触れることを楽しみに生きていました。

 

 

当時使っていたテント。キャンプ生活のおかげで、今でも屋根と壁と布団があるだけで幸せを感じることができます。

 

 

日本各地の “地方” や “田舎” と呼ばれる場所を訪れ、スローライフの達人のもとでホームステイをし、自給自足体験をする。

そんな日々の中で芽生えたのは、「山が見える、ほどほどな田舎で暮らしたい」「庭付きの中古物件に住みたい」という気持ちでした。

 

もちろん旅の途中で “理想郷” に出会うことも期待していました。しかし素晴らしい土地はたくさんあれど、「ここに住みたい!」と思えるような運命的な出会いは、なかなかありません。

旅先で移住者たちの話を聞くなかで、最終的に私はこの考えにたどり着くのです。

どこに住んでも一長一短。住めば都。」なのだと。

 

 

結局、お付き合いをすることになった人の地元・群馬県富岡市が、「適度に田舎」で「空き家がありそう」ということで、結婚をして富岡に定住することを決めたのでした。(夫とは旅先で知り合ったので、運命的な出会いがあったと言えばあったんですね。)

 

 


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“地元” への憧れ

 

 

ベッドタウン育ちの私は、 “愛郷心” というものが非常に薄かったため、地元を愛する人たちへの憧れを強く持っていました。

 

「富岡を私の “地元” にしよう!」

 

そう考えた私は、一人旅で培った図太さを活かして、グイグイとこのまちに入って行くことにしたのです。

 

 

まだ小さなイベントだった、10年前の第2回動楽市。今はない建物の姿も。

 

 

10年前、今とは全く違い、富岡市内のことをネットで検索をしても、ほとんど情報は出てきませんでした。

 

少ない情報を頼りに、暇さえあれば名所やお店を訪ね歩き、ブログに書いて公開する毎日。

一目惚れしたおかって市場に通い、『動楽市』のスタッフになったり。

富岡げんき塾の入山さんを訪ね、地域のことについて質問してみたり。

ブログが縁で、ローカル情報紙の制作のお手伝いをさせてもらったり。

市が開催したまちづくりワークショップに参加して、たくさんの人と富岡のことを話し合ったり…。

 

 

まちづくりワークショップの集合写真。この時のつながりがあって、今があります。

 

 

そうこうしているうちに知り合いは増え、商店街を歩くときも、イベントに参加した時も、必ず誰かしらと「こんにちは〜!」と挨拶ができるようになりました。

 

はじめは少し怖い印象があった富岡の人たちに対しても、「上州弁はぶっきらぼうに聞こえる方言」「裏表がない正直者」「基本的に世話好き」という生態がわかっていくにつれ、「なんて付き合いやすい人たちだろう!」と思えるまでに変化したのです。

 

 

まちなかの空き店舗でライブを開催する企画「よいまちライブ」にもスタッフとして参加。楽しかった!

 

 

しかし、空き家探しの方は、なかなか思い通りには行かず。

アパートで暮らしながら、不動産情報を見たり、知人に聞いたり、歩いて探して聞いてみたりもしましたが、条件に合う物件が見つかるまでは時間がかかりました。

 

お世話になっている方の紹介で、静かな集落に建つ庭付き中古物件を手に入れることができたのは、富岡生活5年目のこと。

「これで根を張れる!」と、ようやく気持ちが楽になったことを覚えています。

 

 

その後、偶然にも同じ地区に2組の移住者が越してきました。

 

 

 


 

 

ここまでを読んで、「移住、なんか大変そう…」と思った人もいるかもしれませんね。大丈夫、今はもっと楽になっています!

 

今は多くの人がネットで地域の情報を発信していますし、市役所には『移住定住窓口』があります。『移住体験住宅』や、『空き家バンク』もできました。転入世帯には奨励金制度だってあります。

 

富岡市ホームページ|移住定住

 

私や移住定住コンシェルジュのハマダさんのように、相談に乗ることができる移住者もたくさんいますよ!

 

 


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 “よそ者” の視点を忘れない

 

 

地域に溶け込もうと努力をしてきた中で、あることに気づきました。

それは、富岡に対して、この土地で生まれ育った人たちと同じ感情を抱くことも、人付き合いにおいて同じスタートラインに立つことも、私にはできないということです。

 

でも私には、外から来た人間だからこそ持っている視点があります。

ずっと住んでいる人にとっては「あたりまえ」でも、私から見れば「!?」となることは、たくさんあるんです。

 

 

昔ながらの食堂の多さにびっくり。でもここ数年で閉店するお店が増えました。

 

 

例えば、

美しい景色がたくさんあって都心からのアクセスもいいのに、混雑していないこと。

自然に囲まれていながら、買い物にも学校にも病院にも困らないこと。

地元産の野菜や果物が一年中手に入り、それらが安くて美味しいこと。

世界遺産・富岡製糸場があり、市民はいつでも無料で見学できること。

県立自然史博物館やサファリパーク、貫前神社に妙義神社といった、他県にも自慢できる施設や建造物があること。

東京にも高原にも日帰りで遊びに行けること。

街にレトロな看板や商店が残っていること。

困っていることを伝えると、助けようとしてくれる人がたくさんいること・・・

 

良いことだけでも、まだまだたくさん出てきます。

 

富岡名物「ほるもん揚げ」と同じくらい衝撃を受けた、松伊堂の「ぶどう焼」。(こちらも残念ながら閉店。でも新しいお店も増えています!)

 

 

10年経った今でも「富岡っていいところじゃん!」と新鮮な気持ちのまま言うことができているのは、この “よそ者” 視点を持ち続けているおかげだと思うのです。

 

逆に、悪いところも目につきやすいですが、それも地域にとっては大切な視点。今よりももっと暮らしやすいと思える環境づくりに、役立てていきたいです。

 

 


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これからやってみたいこと

 

 

地域の皆さんとの雑談の中で、必要としていることや困っていること、暮らしを楽しむヒントを共有したい!

地元の人に聞きたいこともあるし、「移住者あるある」でも盛り上がりたい!

 

なのでこの先、実際に会って交流できる機会を、いろんな場所で設けていきたいと思っています。その時は遊びに来てくださいね。

 

インスタグラムのメッセージも、ぜひぜひ気軽に送ってください。いつでもお待ちしています。

 

これからも、どうぞよろしくお願いします!

 

 

今でも旅行が好きです。富岡だけでなく、いろんな土地の話もしたい!

 

 

趣味でフリーペーパーも作っています。見かけたらぜひご覧ください。

フリーペーパーcocon. (Facebookページ)

 

 



 

 

【book cafe ebisu】鈴木 亜紅子(すずき あくね)さん

「富岡シルクと手仕事を広めたい」三尾 和江さん