こんにちは!
私は富岡市出身のシマダマイ。
県内の大学に在学している大学生です。
「まゆといと」には、過去にちょっとだけ登場したことがあります。
それがこちら ↓
私が「令和2年富岡市成人式 実行委員会」のメンバーだった時に、
高校生と移住定住コンシェルジュのハマダさんが取材をしてくれた記事です。
普通の大学生の私が、軽い気持ちでやってみた成人式実行委員。
実はこれがきっかけで、その後も新しい世界がどんどん広がっていきました。
私が感じたワクワクを、みなさんにもぜひ感じてほしい。
そんな気持ちを込めて、成人式実行委員のこと、そこから繋がった出会いについて書いていきますね。
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壁を乗り越えて得られた「達成感」
夏のある日、私のもとに「成人式実行委員の募集」と書かれた1枚のハガキが届きました。
興味はあるけれど、絶対にやりたいというほどでもなく…。迷ったものの、母の応援もあり「人生に一度きりの成人式、せっかくなら特別なものにしよう」とチャレンジしてみることにしました。
成り行きで私が実行委員長に・・・
この年の実行委員は、女の子4人と男の子3人の7人。夏から月に何度か集まって話し合い、市の職員さんと相談しながら成人式を作り上げていくのですが…。
私たちの中にはリーダー的な存在がいなかった上に、出身中学が違う人との壁を崩すのに時間がかかり、準備は順調とは言えない状況に。
本当に間に合うんだろうかと、私たちも周りの大人たちも不安に感じていました。
時間をかけてスローガンと新成人企画を決めると、今度は新たな壁が。
市内の小中学校を訪問して写真撮影をし、スライドショーを作ることになったのですが、訪問のためには各学校に電話をかけてアポを取らないといけません。
実行委員の女の子は全員学生で、社会人に比べて電話の経験がほどんどナシ。それだけでもかなりの緊張です。けれど勇気を出して連絡してみると、どの学校の先生もとても優しく対応をしてくれました。
そういった小さな経験が私たちを少しづつ成長させていき、ついに迎えた令和2年1月12日の成人式当日。私たちは会場に集まった大勢の新成人とそのご家族を前に、ステージに上がったのです。
この時の私はもちろん緊張していましたが、それ以上に「今日という日をみんなと楽しみたい!」という思いでした。
というのも前日のリハーサルでは、私たち全員がそれまでで最高のパフォーマンスをすることができ、みんなの気持ちが一つになっていたんです。
そして「このかぶら文化ホールが明日には人で埋め尽くされるんだ」と想像した時、それまでの不安や心配はどこかへ消え去っていました。
そんな前日からのワクワクした気持ちのままに挑んだ発表は、台本にとらわれず自分たちの言葉で、アドリブを入れながら自然体で行うことができました!
きっと誰よりも私たち自身が一番、あの瞬間を楽しんでいたと思います。
そして終わった後には、何ヶ月もかけて自分たちの手で作り上げてきた成人式をやりきった「達成感」に包まれ、「みんなで力を合わせて成し遂げるって楽しい!」ということに気づくことができました。
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就活イベントへの参加とハマダさんとの「再会」
実行委員長としての役目を終えた私はその翌月、知り合いに誘われ、富岡市内で行われた「就活生向けイベント」に参加しました。
(就活イベントと言っても、リクルートスーツを着た学生が企業のブースで会社説明を聞くようなイベントではありません。様々な働き方をしている社会人と大学生が一緒にワークショップに参加し、コミュニケーションを重ねる中でお互いに学んでいくというものでした。)
いざ会場に入ってみると、参加している他の学生はみんな意識が高い感じで私だけ場違い感が…。都市部から来ている社会人の女性たちは華やかで、年齢は近いはずなのに別世界の人たちのよう…。おまけに会場の雰囲気も素敵で、圧倒されてしまいました。
就活イベントの会場になっていた富岡商工会議所。
でもこれは就活イベント。自分が考えた質問をするため、勇気を出して何人かの社会人に話しかけていきました。
するとそこで、私たちの成人式を取材してくれたハマダさんと再会。
この日は立ち話をしてLINEを交換して終わったのですが、数カ月後にハマダさんからこんなLINEが届くのです。
「成人式が終わったばかりだけど、次の成人式実行委員の取材をしてみない?」
取材して記事を書くなんて、軽い気持ちで受けちゃって大丈夫かな? たくさんの人が目にするものだし…。
一瞬そんな不安が心をよぎりました。でも富岡の情報発信に関わるチャンスをもらえたのが嬉しくて、私はこう返信しました。
「一緒に取材に行きたいです!」
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取材側に立って気づいた「大人たちの想い」
そんなわけでハマダさんと二人で、令和3年成人式実行委員会の打ち合わせに参加することに。
1年前と同じ場所で同じ打ち合わせをしているはずなのに、私たちの時とは全く違った雰囲気に感じました。
新型コロナ感染対策で、実行委員も市の職員も全員マスク。表情を読み取ることができません。
それに今回の実行委員はほとんどが社会人で、スーツ姿の人もいて大人っぽく、落ち着いて見えます。しかも実行委員長はしっかりと議論の進行役を務めていて、話し合いの様子もまるで社会人の会議のようです。
先行きの見通せない社会情勢と相まって、緊張感がひしひしと伝わってきました。
次に私が同席できたのは、かぶら文化ホールで行われた前日リハーサル。コロナの影響で成人式の延期が決まっていた市町村もありますが、富岡市では翌日の式に向けて着々と準備が進められていました。
感染防止対策のため直前にプログラムが大幅に変更になり、去年とはだいぶ異なる状況。それでも実行委員たちは、自分たちのミッションを楽しんでいる様子です。
こんな時だからこそ新成人みんなの心に響かせたいメッセージを胸に、彼らはこの日まで準備をしてきたんだと思います。
リハーサルの様子を取材していくと、成人式には実行委員だけではなく、市長や教育長など様々な立場の人たちが関わり動いてくれていて、その人たちの思いが一つになって初めて式が開催されるのだということが見えてきました。
開催のために奔走してくれた大人たちの中でも、常に一番近くでサポートしてくれたのが市職員の田中さん。私たちの時も、いつも背中を押してくれました。
その田中さんに成人式を決行した理由を聞いてみると、こんな言葉が返ってきました。
「富岡の子に希望を与えたかった。若い子から希望を取りあげたくなかった。その一心です。」
私はこの言葉を聞いて、胸が熱くなりました。
それまで私は、田中さんは「成人式開催の準備という業務」として実行委員と関わっているだけなんだと思っていました。
ひとりの富岡市民として、富岡の新成人に対してこんなにも力強く温かい思いを持ってくださっていることを知れたのは、開催するかどうかの間で揺れ動いた成人式を取材させてもらったおかげです。
成人式に出席できるということは、なんてありがたいことなんだろう。そしてこの取材にチャレンジして本当に良かったと、心から思いました。また私自身も田中さんのように、優しい心を持って人の声に耳を傾け、地域に貢献したいという気持ちが強くなりました。
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扉を開けばまた「次の扉」が待っている
2年に渡り成人式に関わり続ける中で、たくさんの社会人の方々とのつながりができました。
ハマダさん、田中さん、そして成人式の準備のために協力してくれた小中学校の先生たち・・・
多くの経験を積んだ人生の先輩から話を聞くことは、就活を控えた私にとってはとても刺激的で、参考になりました。
もし成人式実行委員に参加していなかったら、大人の方と話す機会はアルバイト先くらいだったと思います。
とは言え、田中さんも、小中学校の先生も、じつは実行委員になる前から知っていた人たちなんです。
富岡は小さなまち。未知の世界に飛び込んだつもりでも、そこには知っている大人たちがいて、温かく受け入れてくれました。だからこそ新しいことにチャレンジするハードルが下がって、安心して次々に扉を開くことが出来たのかもしれません。
成人式本番で大勢の前に立って話したり、こうしてWEBマガジンの記事を書いたり、その流れの中で出会った方から誘われて「未来の教室」という事業にも参加したり…。学生生活という枠から飛び出して活躍の場を得られたのも、とても貴重な経験でした。
(「未来の教室」については、こちらの記事もご覧ください)
新型コロナウィルスの影響で、大学生の生活も大きく変わりました。キャンパスに行くことも、部活動やサークル活動をすることも、旅に出ることもできず、毎日をパソコンの前で過ごすしかなかった大学生がたくさんいます。
そんな中でも私は、いくつもの出会いに恵まれて、就活直前まで新しいことにチャレンジし続けることが出来ました。
それもこれも全ては2年前に届いた「成人式実行委員募集のハガキ」から始まったのです。
一緒に実行委員に参加した友人も、「運営側として参加できたことで、間違いなく自分を成長させることができた。これから成人式を迎える子たちにも、ぜひステージからの景色を見てもらいたい!」と話しています。
あなたも成人式実行員に応募してみませんか?
(シマダマイ)