富岡市の暮らしと移住のWEBマガジン
まゆといと

2020.01.18 移住-Iターン

【イル・ピーノ】馬場 俊人さん・未咲さん

昨年12月のある日、しるくるひろばでは、クリスマスマーケットをイメージしたマルシェが賑やかに行われていました。

 

会場に設置されたテントで数十名のゲストにランチを提供していたのは、市内のカジュアルレストラン『イル・ピーノ』と『イル・ピアット』のオーナーシェフである馬場俊人さん。

 

俊人さんが調理し、妻の未咲さんが提供する。その様子は、富岡の野外イベントではもうお馴染みの光景です。

 

 

 

 

4人の子どもを育てながら2つのレストランを経営し、リノベーションスクールの仲間と立ち上げた宿泊施設『蔟屋』(詳しくは入山さんの記事へ)のフロント業務なども行っているお二人。

 

週末になると様々な市民イベントに呼ばれては食事を提供し、自身でも食と音楽を楽しむイベント『PLAYGROUND』を開催しています。

 

「人が集まって何か楽しそうなことをやっているな」と思うと、そこに馬場さんの姿あり。しかも生粋の富岡っ子に囲まれていることが多いので忘れてしまいそうになりますが、実はお二人とも移住者なのです。

 

 

 

 

馬場さんが富岡で最初にレストランをオープンさせたのは2013年のこと。

お二人はどうしてこの土地を選び、一体どのようにしてこの土地に溶け込んでいったのでしょうか。

 

 

 


 

 

誰一人知り合いがいない状況での開業

 

 

― 俊人さんは高崎市出身で、美咲さんは新潟県の魚沼市のご出身なんですね。富岡で開業する前は、俊人さんは軽井沢のイタリアンレストランで働いていたと聞きましたが、その時はご家族で軽井沢に住んでいたんですか?

 

未咲さん:高校卒業後に群馬県内の学校に進学して、高崎で夫と知り合って結婚しました。それから夫が軽井沢で働くことになって、当時10ヶ月だった長女と3人で軽井沢に引っ越したんです。そこで次女と三女が生まれて、長女が5歳の時に富岡に引っ越したので、軽井沢に住んでいたのは5年くらいですね。

 

― 小さなお子さんが3人いて、実家も離れているとなると大変だったのでは。富岡に来たのは子育てのことを考えてですか?

 

未咲さん:軽井沢は外から移り住んだ人が多い土地なので、和気あいあいとした雰囲気があって、子育て支援センターに行けばお世話好きな人もいたので、特に不便はありませんでした。ただ、寒いんですよね…光熱費もかかりますし…。

それで上の子が小学校に上がる前に、お義母さんが住んでいる富岡市に引っ越そうということになって。土地勘もなく雰囲気も全くわからなかったんですけど、とりあえず「お義母さんがいるので富岡に行こう」と。

 

 

 

 

― 俊人さんのお母さんが住んでいたのがもし別の町だったら、そちらに行っていたというわけですね。富岡の暮らしは、結果的にどうでしたか?

 

未咲さん:田舎すぎず都会すぎずで暮らしやすいですね。保育園は希望する園に入れましたし、小中学校も特に不満などなく通わせることができています。

それに都市部と違って近隣の方々とのお付き合いもあるので、富岡に来てから寂しいと感じたことがありません。

 

― 富岡でお店を出すことは、移り住んだ当初から考えていたんですか?

 

俊人さん:考えていませんでした。しばらくは富岡から軽井沢まで通勤していて、当時の勤務先のオーナーに「そろそろ自分でやれば」と言われて物件探しを始めたんです。

富岡に住んでいるとはいえ知り合いは一人もいなかったので、毎日の通勤途中に目にしていた不動産屋さんの看板を頼りに電話をしました。するとその不動産屋さんがたまたま同い年で、共通の友人がいたんですよ。

 

― いきなり繋がりましたね。

 

俊人さん:その方に内匠の住居兼店舗物件(イル・ピアット)を紹介してもらって、銀行も紹介してもらって。そこから自分と富岡との関わりが始まっていきましたね。

 

 

 

 

― そうして2013年に独立・開業されたんですね。私も何度か利用させてもらっていますが、お店にはいつも地元の方々がいて、皆さんお知り合いで…というイメージがあります。

 

俊人さん:いやー、最初は全くでしたよ。

 

未咲さん:夫は最初は友達を作るつもりがありませんでしたね。ホールには出てこないし、喋らないし。

 

― え!今と全く違いますね。

 

俊人さん:知らない土地に飛び込んでお店を始めたので、初めは自分の中でバリアを張っていたんです。

 

― そこからどうやって交友関係を広げていったんですか?

 

未咲さん:一番は子どもの存在ですね。子どもの習い事先や同級生のお父さんお母さんとのつながりがきっかけで友人が増えていきました。

 

俊人さん:それでホールにも顔を出すようになって。今思えば、表に出るようになってからいろんな話が回ってくるようになりました。2号店の物件を紹介してくださったのも子どもが通う保育園の園長先生ですし。

 

 

富岡中心街の路地に佇む物件をリノベーションした2015年オープンの2号店『イル・ピーノ』。

 

 

― イル・ピーノのあの物件、ずっと前から「いい雰囲気だなぁ」と気になっていたんですよ。『今井洋品店』の看板が好きで。今もその看板はありますよね。

 

俊人さん:残しておいてよかったです(笑)。商工会議所の方でも活用を望んでいた物件だったようで、開店にあたっては商工会議所の方が何から何まで面倒を見てくれました。

 

―  イベントでの出店が増えていったのもその頃からでしょうか。

 

俊人さん:イベントに出るようになったのは、2014年の『こしねグランプリ』で優勝したことがきっかけですね。

 

 

 

 

― こしねグランプリは、商工会議所主催のご当地グルメ選手権ですよね。

 

俊人さん:市内の飲食店さんがあまり出場しないと聞いて、「そこで賞が取れれば認めてもらえるかな」と思って出たんです。結果、優勝をして、その後の産業祭にも出店しました。それがあって、市民の皆さんの認知度が上がっていったのかなと思います。

2016年からは『動楽市』にも呼んでいただいて、市外の方にも知ってもらえるようになりました。そのご縁で現在は高崎のイベントに出店することもあります。

 

― 通常営業とイベント出店に加えてケータリングやお弁当でたくさんの注文を受けることもあったりと、いつ休んでいるのかと勝手に心配になったりもしました。

 

俊人さん:初めのうちは、イベント出店やケータリングは金額にかかわらず全て引き受けることにしていました。それがあって町に溶け込めたというのはあると思います。

 

 

 


 

 

気負わなくなったら楽しくなった

 

 

― 最近では、富岡っ子でDJの永田くんとともに『PLAYGROUND』というイベントをされていますよね。休日に知り合いが集まって、音楽に体を揺らしながら飲んで喋って食べるという、日常と非日常の中間のような空気がとてもいいなぁと思っています。

 

店舗と隣の公園を活用し、月1回開催している『プレイグラウンド』。

 

 

未咲さんある時うちのお店で、永田くんが機材をつなげて音楽をかけてくれたんです。それがきっかけで「こんなふうに音楽を聴きながら楽しくご飯が食べられたらいいよね」という話になって、イベントをやってみようということになって。

 

俊人さん:規模は大きくなくていいから、地元の人が来られるイベントにしよう!と始めました。でもやってみたら…イベントって結構大変なんですよね、準備とか。椅子やテーブルをセッティングしながら「誰も手伝ってくれないしなぁ…」という感覚に陥ってしまって、一時期やりたくなくなってしまったんです。

 

― そんな時期があったんですね。

 

俊人さん:でも、ある大きなイベントに出店した時に、イベント終わりに代表者の方が一人で黙々と片付けをしている姿を見たんですよ。スタッフさんもいましたけど、誰よりも率先してやっていて。

そこで「ああ、そういうもんなんだ」と気づいたんです。自分がやれる範囲で、自分でやればいいんだと。「手伝ってもらえたらラッキー」くらいの考えじゃないと、イベントって続かないんだなと。

そう考えたらすごく心が楽になって、月1でやっていこうという気持ちになりました。

 

 

ハンドメイド作家のお店に、チアダンスパフォーマンスも。普段は静かな公園に子どもたちの声が響き渡る。

 

 

― 理想を描いて勝手に誰かに期待をして、やってもらえずイライラして…という経験、私も大いにあります。馬場さんはパッと視界が開けた瞬間があって、今は楽しみながらできているんですね。

その他に『蔟屋』の運営にも携わっていますが、そちらはいかがですか?

 

俊人さん:蔟屋も、最初は気負いすぎていたところがありました。入山さんがクラウドファンディングで資金を集めているのを横目に「俺も何かやらなやきゃ…」と葛藤があったんです。

でも最近は気楽に考えられるようになりました。個人事業主なのでどうしても「自分で何とかする」と意固地になってしまうところがあるんですが、「この仕事はあの人が得意だからお任せしよう」と、つながりの中でお任せできることはお任せをして、自分はできることをやればいいんだとわかって。

“みんなでやる”ってこういうことなんだと気づくことができました。

 

 

しるくるひろばで使われている大きなテントは、馬場さんから相談を受けた看板屋さんが制作。テントのレンタルという新しい事業も生まれた。

 

 


 

 

知らない土地に来たからこそ気づけたこと

 

 

― これからやっていきたいことなどありますか?

 

俊人さん:スタッフが不足しているので一緒に働いてくれる人について考えているんですが、先日、特別支援学級の就職セミナーを聞く機会があったんです。その時に、仕事を教える側の伝え方次第で、障がいがある人でもない人と同じように働くことができるということを知ったんですよね。

 

未咲さん:こちらが伝え方を変えるだけで、できなかったことができるようになる。それはこれまでに接したアルバイトさんでもそうでした。相手に関係なく、全ては教える側次第なんだなと思いましたね。

 

 

 

 

俊人さん:今まで、こちらがやって欲しいことを相手ができなかった時に「何でできないんだ」と怒ってしまうことがあったんです。でもそれって、こっちに否があったんだなと。

 

未咲さん:「このくらい言えばできるだろう」という先入観を捨てて、自分にとっての普通は相手の普通ではないということを念頭に置かないと、自分も相手も成長しないんだなと気付かされました。

 

― この1年間だけを振り返っても、人との関わりの中で本当にたくさんの気づきがあったんですね。

 

未咲さん:家族だけではどうにもならない大変な状況がたくさんあって、色んな人と関わって…。その中で出会った人たちに様々なことを教えてもらいましたね。

 

俊人さん:知らない土地に来たからこそ、気づく機会ができたんだと思います。自分のことをよく知っている人たちだけと関わっていたら、いつまでもあぐらをかいて、こういう考えにはなっていなかったでしょうね。

 

 

 

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「ピンチはチャンス」という言葉が思い浮かぶ。

ピンチな状況に陥ることは悪いことじゃない。負けることだって悪いことじゃない。その体験からしか得られない知識や技術や誰かの存在は、その後の人生を想像以上に豊かなものにしてくれる可能性がある。

そしてその体験談は、ピンチの渦中にいる人たちの救いになるかもしれない。

 

「どうせできない」と自分の可能性を否定して、「どうせわかり合えない」と人と関わることを避け、狭い世界に身を置き続けるのは少しもったいないんじゃない?

お二人のお話を聞き終えた私の頭に、そんなメッセージが聞こえてきました。

 

(ナカヤマ)

 

 


 

 

 

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