富岡市の暮らしと移住のWEBマガジン
まゆといと

2020.12.29ヒト、コト。

永田 啓介(ながた けいすけ)さん

私が永田くんと知り合ったのは8年前。富岡製糸場の世界遺産登録を前にして行われた、富岡市のまちづくりワークショップだった。

市街地で生まれ育ち、地元の金融機関に就職したばかりだった彼は、“まちの未来を見据えて行動に移す”というテーマにはうってつけの人物。誰よりも注目を集めていたし、本人も使命感を持ってその場に参加していた。

あの時から彼はずっと、自分が住み続けたいと思えるまちの未来を描き、アクションを起こし続けている。

 

そんな永田くんには、『地域と共存する信用金庫の営業マン』と、『県外でも活躍する群馬のローカルDJ』という2つの顔がある。

その肩書も、8年前から今まで変わっていない。

ただ面白いことに、接点がなさそうに見えるその2つの顔が、年々混ざり合ってきているように感じられるのだ。

 

永田くん本人はどんなことを考えながら、様々な活動をしているのだろう。

地元を出なかった理由など、以前から気になっていたことも含めて、詳しく聞いてみたいと思った。

 

 

 


 

【永田 啓介(ながた けいすけ)さん】

富岡市出身・在住。30歳。高崎経済大学を卒業後、しののめ信用金庫へ入庫。現在は法人営業部にて事業者支援を行う一方で、同庫の事業『まちの編集社』、『とみおか・かんら・ふじおか テイクアウト&デリバリーガイド』などを担当。プライベートではDJ Ampsとして、楽曲制作やライブ配信を行っている。市内では2013年から『動楽市』などのマルシェイベントにDJ/音響スタッフとして参加を続け、2018年からは『PLAYGROUND』を主催。2020年はYoutubeチャンネル『TVとみおか』の立ち上げも行った。

 


 

 

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DJにハマった学生が、地元で生きることを選んだ理由。

 

 

11月にしるくるひろばで開催されたイベントにて。DJはイベントのコンセプト、客層、時間帯に合った音楽を流して会場の空気を温める。

 

 

― 私が永田くんの姿を見かけるのは、まちなかのイベントでDJをしている時がほとんど。その時々の会場の雰囲気にぴったりの選曲、いつも楽しませてもらっています。DJを始めたのはいつ頃からですか?

 

永田:DJのまねごとを始めたのは、高校2年生の時です。その頃は自分で録った音源を動画配信サービスに上げるだけだったんですけど、大学に入ってからSNSでつながりができて、大学2年生の春に初めてクラブに出られました。

 

― DJといえば、クラブ=夜の世界というイメージ。永田くんのように、クラブイベントだけでなく地域のイベントにも呼ばれるDJは珍しいのでは?

 

永田:音楽イベント以外で、空間づくりとしてDJを起用するということが少ないんじゃないかなと思います。自分の場合は、大学1年生の時に高崎で開催された『販売甲子園』(大学生が企画運営を行う、高校生が主役のイベント)で、 “音響の手伝い” という名目でDJをしたことがあって。

 

― ということは、DJデビューはクラブよりも地域イベントが先だった!?

 

永田:そうですね。表現できる場が欲しくて手伝いに行ったら、イベントが終わった後に先輩から「音響が良かった!」とすごく評価をしてもらえたんですよ。それまでDJは社会性とは程遠い存在だと思っていたんですけど、役に立てることがあるとわかって、そこから地域のイベントにもどんどん参加するようになりました。

 

 

同じリズムと同じフレーズを繰り返すダンスミュージックは、幼い頃から染み付いた「富岡どんとまつり」のお囃子と通じるものがある。

 

 

永田:それで就職を考える時期になった時に、大学の4年間で様々なイベントに参加しながら得た地域のコミュニティを、全く活かさずに仕事をするのはもったいないと思ったんです。だから県内で仕事に就こうと。

それでいざ就職先を考えた時に、自分がやってきた活動と何かと被る部分が多かったのが、しののめ信用金庫だったんですよね。

この会社なら今までやってきたことを仕事としてできる可能性もあるし、地域のことを知っているから、営業をする時にもお客さんの相談を受けやすいだろうし、プライベートと仕事がうまく両輪として回るんじゃないかなって。

 

 DJ活動と地域活動、そして仕事と、大学生の頃から全てをつなげて考えていたんですね。

 

 

仕事もプライベートも商店街と関わりが深い。取材中も、ばったり会った商店主さんと会話が始まった。

 

 

― でもDJとしては、東京のクラブにも呼ばれるほどの実力があるのに、東京に住むことは考えなかったのかな?と気になっていました。

 

永田:最先端のことをやりたかったら東京に行く―という選択肢もいいと思うんですけど、「ここでもできる」という前例になっておきたいと思っていて。もし東京に疲れて帰ってきても、ここで続けることはできるし、地方だからって諦めたり、安易に最先端のところに行くっていう、少ない選択肢の中でやるのは違うんじゃないかなって考えてます。

 

― 富岡で子育てをする身としては、選択肢を作ってくれるのは本当にありがたいです…

 

 

馴染みの精肉店で、気になっていた映画のご当地ポスターを発見。富岡の「ほるもん揚げ」が採用されていることにテンション爆アゲ ↑

 

 

永田:実際「東京に来ないんですか」とよく聞かれるんですけど、東京に行くと “年相応にDJできるヤツ” になってしまう。それよりも “群馬にいながら東京と渡り合っているDJ” という肩書のほうがかっこいいなっていう、打算もあります(笑)

東京は通える距離なので、たまに行って刺激を貰えればいいですね。もう少し離れている土地に住んでいたら、考えが違ったかもしれないですけど。そういう意味でも、群馬は最高の立地だなって思います。

 

 

 


 

 

 

“自分のため”を追求すると、人のために動けるようになる。

 

 

― 今年はコロナの影響で、現場でDJをすることがほとんどなくなってしまったと思うんです。けれどその分、永田くんの新たな活動が目立っていたように感じます。4月に公開した『テイクアウト&デリバリーガイド』は、後にお仕事として続けていくことになりましたよね。

とみおか・かんら・ふじおか テイクアウト&デリバリーガイド

 

コロナ禍で需要が増えた飲食店のテイクアウト情報をまとめて見られるようにした「テイクアウト&デリバリーガイド」

 

 

永田:各店舗がSNSで発信したテイクアウト情報を、自分が食べたい時に見られるようにしたいなと思って、自分のためにやっただけなんです。最初から「事業支援」として会社の仕事にすることもできたと思いますけど、あの時は時間が勝負だったので、個人的に始めました。

 

― その素早い行動に助けられたお店は多いと思います。それから、6月にはYoutubeチャンネルを商店街の入山さんらと立ち上げましたよね。これまではゲストを呼んだトークの生配信が中心でしたが、始めたきっかけは何だったんですか?

TVとみおか

 

 

通称「テレとみ」。個性豊かな富岡人がZoomでまったりトークを繰り広げている。

 

 

永田:きっかけは、友達と『インド料理店スターサンジ』のメニューを見ていた時に、「メニュー数が多いから、『帰れま10 ※』をやってライブ配信したら面白そう」という話になったんですよ。でもいきなりそんなことをお店に言ってもOKしてくれないですよね。※帰れま10(かえれまてん)とは、人気メニュー上位10品を予想しながら注文し完食するというバラエティー番組の企画。

そこで、まずは富岡市民が富岡市民に向けて発信するためのチャンネルを作って、だんだんと番組を増やしていって、視聴者が増えればお店もOKを出してくれるだろうと考えたんです。

 

― 意外なきっかけでした(笑)

 

永田:なのでこれからは、飲食店の料理番組だったり、カルチャースクールのヨガとかが番組として入ってくれるといいなと思ってます。少年野球の中継なんかもできるようになったら最高ですよね。あと、ホテルアミューズで『ゴチになります!』もやりたいんですよ(笑) 悪ふざけがベースになってはいるけれど、市内を盛り上げる可能性はあるなと思っていて。

 

― 自分はやりたいことができて、お店にもメリットがあって、みんなも楽しめれば言うことないですね。

 

永田:PLAYGROUNDも同じなんです。まちなかでDJをやりたいけれど、ただそれだけで実行するのは難しい。だから子どもには遊び場を、大人には美味しい料理を用意して、みんなにメリットがあるような作りにしたんです。

 

 

昨年お富ちゃん広場で開かれたPLAYGROUND。イル・ピーノの食事とお酒を楽しむ大人たちの横では、子どもたちが走り回って遊んでいた。

 

 

永田:自分のために何かをしたい時に、周りに理解されていないとやりづらい。応援してくれる人や共犯者を増やせば増やすだけ、やりたいことが実現しやすくなる。なのでいつも公共性を考えて、不快な思いをする人がいないように心がけています。利己を追求した結果、利他的に動くようになったという感じです。

 

 

 


 

 

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友達と全力で遊んでいたら、知らないうちに企画力がついていた。

 

 

放課後は友達と、銀座通りの精肉店「岡重」や「肉の原田(閉店)」で揚げたての惣菜を頬張っていた。

 

 

― 富岡で面白いことをやりたいという発想が出てくるのは、子どもの頃からずっと富岡が遊び場で、今も一緒に盛り上がれる仲間がいるからなのかなと思いました。「遊ぶなら高崎まで行こう」という考えにはならなかったですか?

 

永田:ならなかったですね。高校生の頃は、富岡の市街地が閑散としていたので逆にそれを利用して、鬼ごっこをしたりしてました(笑) 大学生になってからはグループ内で順番に企画を担当して、県外に出た仲間が帰省する時には必ず集まって遊んでましたね。

 

― 企画をしっかり立てて遊ぶんですか。例えばどんなことを?

 

永田:10人くらいで妙義総合体育館を借りて、運動会をしたことがあります。ちゃんとプログラムも作って、小麦粉を用意して飴食い競争をやったり、お昼には鳥平の弁当を注文して、芝生の上で食べたりして。で、負けたチームが体育館の掃除をして、終わったらみんなでもみじの湯に入って、最後にまちなかに移動して飲みまくるんです。

 

― それは最高の一日!友達と体育館を借りるという発想はなかったです。

 

 

昔から変わらない、仲町通りの「ストウおもちゃ店」。ここでも何か楽しい企画が浮かびそう…

 

 

永田:あとは社会人になってから、「高価な水鉄砲を買ってきて全力で遊ぶ」っていうのもやりました。いい大人が子どもの遊びを全力でやるっていうのが、うちのグループでは肝になっているんですよ。遊びが用意された施設に行くよりも、ないなら作るというスタンスで今も遊んでます。

 

― 企画力があれば、富岡で楽しむことはいくらでもできますね。

 

永田:だから今自分がやっていることって、昔から仲間とやっていたことを、ここまでやったら街のみんなが喜んでくれて、みんなにメリットが出るという基準で組み直せるようになっただけなんですよね。

 

 


 

 

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目標は『日本で一番社会性があるDJ』

 

 

生まれも育ちも商店街。夜になると聞こえてくる酔っぱらいの声やカラオケの音が環境音だった。

 

 

― 最近では会社のお仕事として楽曲制作をすることがあったりと、プライベートと仕事の境界がなくなってきていますよね。

 

永田:就職する時に考えていた「プライベートと仕事の両輪で…」というのは、前は “別々のものを一緒にやっていこう” という意識だったのが、今は “一緒” になっているのかなという感じはします。

これからも特に分けることはせずに、自分の住んでいるまちをどうしたら楽しく、豊かにできるかというのを、自分のできる範囲から試行錯誤して実践していきたいですね。

 

 

コロナの影響でクラブでのDJ活動は自粛。代わりに自宅からライブ配信を行うようになった。「家や職場で楽しめる」と、幅広い世代に好評だ。

 

 

― 今、目指していることはありますか。

 

永田:自分はDJに人生を変えてもらった部分もあるので、DJの悪いイメージを変えたいなという気持ちがあります。目標で言うと、“すごい” とか “売れてる” とかよりも、日本で一番社会性があるDJ』になりたいんですよ。

ビジネスをしている人たちの中には、エンタメやアートといった分野の人間を軽く見ている人はまだまだ多いし、アーティスト側も自分を卑下したり、採算度外視でやっているような人が多い。自分は仕事柄そこを仲介できる立場にいるので、エンタメやアートといった分野の人間が、社会的にのびのびと動ける世の中になったらいいなと思っています。

 

 


 

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永田くんの真面目さと勤勉さが垣間見えた、今回のインタビュー。少なくとも今の富岡では、DJに悪いイメージを持っている人はあまりいないんじゃないかな?と私は思う。

 

話の中に散りばめられていたのは、今いる場所での暮らしを自ら豊かにしていくための、たくさんのヒント。

 

今の暮らしが何か物足りない…と感じている人も、自分の好きなことや得意なことで地域社会とつながる道を探してみると、その先に楽しい景色が待っているかもしれない。

 

 

(ナカヤマ)

 


 

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