みなさんはウクレレの演奏を聴いたことはありますか?
小さな楽器ですが、奏でられる音色は心に響き、とても癒やされます。
私はウクレレと言うとハワイアン音楽のイメージがありますが、皆さんはどんな音楽を想像されるでしょうか?
ウクレレには様々なサイズや種類があり、それぞれから違う響きが奏でられるのです。
今回私がお話を伺ったのは、『ウクレレマハーロ』というバンドでバンドリーダーを務め、また ウィングプラザとみおか のウクレレ講座で講師もされている、大野 英彦(おおの ひでひこ)さんです。
大野英彦さん
私が大野さんに初めてお会いしたのは、昨年の『妙義フェス』の会場でした。
毎年秋に開催される『妙義フェス』では、ライブやフラダンスなど様々なジャンルのグループがステージに出演。私はサルセーションで出演&遊びに来ていました。
大野さんはというと、出演者が使う音楽を流すために、テント内で音響のお仕事を担当されていたのです。
青空と自然がとても気持ちいい妙義フェス。今年の開催も楽しみです。
するとステージでウクレレを演奏するグループの中にも、大野さんの姿がありました。その姿を見た私は「音響さんはウクレレもできるんだ」なんて思っていたのです。
またその翌月、道の駅みょうぎで行われた『イルミネーションフェスティバル』でも、大野さんは音響を担当しながら、ウクレレの演奏をされていました。
そんな大野さんを私はプロの音響の方だと思っていたのですが、本当のところは製造業の会社で働く会社員なのだそう。ではなぜ音響を担当しているのか?そしてウクレレの演奏もできて、しかもウクレレ教室の講師もされていて、いったい何役こなしているのか…?
気になった私は、詳しくお話を伺ってみました。
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今では地元のような富岡
大野さんは東京生まれ。ですがご両親が妙義町と南牧村のご出身という事もあり、高校2年生の時に祖母がいる妙義町に引っ越してきました。
高校を卒業するとまた東京へ移りますが、27歳の頃にこちらに戻り、富岡市内での暮らしを始めます。
というのも、大野さんは幼少期に東京や埼玉などで暮らしていて、“幼馴染”と呼べる友達が少なく、少し寂しい思いをされていました。なので3人のお子さんには「地元の友達」を持ってほしいと思い、家族で富岡で暮らすことを決めたのです。
近所に大工さんが住んでいたこともあり、家を建ててもらい、少しずつ地域に馴染んでいくことができたそうです。
若い頃はサーフィンをされていたとか。カッコイイ~
大野さん:私たちが住み始めたのは子どもが少ない地区だったので、周りの方にとても歓迎してもらえました。『どんと祭り』でも仲間に入ることができて、地域に積極的に溶け込むことができたんです。また祭りでは地区のお囃子の責任者を頼まれて。頼まれると断れなくてね。でも歓迎してもらえたので、自分にやれることをやってみようと思いました。
大野さんは「期待に応えたい」という思いから様々な行事に参加し、人の輪を広げていきます。
大野さん:近所には自分と同年代の人が少なかったんですが、お囃子の責任者をしたことで他の地区の方と知り合えたり、区長さん方とも顔見知りになれて。そこから地区のソフトボールの仲間にも入りました。今は朝5時半集合で試合をしています(笑)。七日市全体で月に2回ほど週末に試合をしていますが、今は人集めが大変でね。でもそれを辞めてしまうと地域がどんどん衰退してしまうから、続けています。
地域の人たちが顔を合わせて活動する機会を減らしたくないと、自ら積極的に働きかけ、「子どもたちが親になる世代までこういった交流を繋いでいきたい」と話す大野さん。富岡で生まれ育ったわけではないのに、もうここが地元のようになっていますね。
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ウクレレも人との繋がりから
大野さんがバンドリーダーを務める『ウクレレマハーロ』のスタジオにお邪魔しました。
大野さんとバンドメンバーの茂木さん。このスタジオは茂木さんのご実家にあった工場を、皆さんで改装して作られたそうです。
お子さんが通っていた小学校で大野さんがPTA会長を務めた時に、一緒に役員をされていたのがこちらの茂木さん。もう20年来のお付き合いです。
大野さんがウクレレを始めたのは、元々ウクレレ教室に通っていた茂木さんが、大野さんを誘ったことからでした。
茂木さん:当初通っていたウクレレ教室の人数が減って、解散になってしまって。そこで大野さんにウクレレをやってみないかと誘ったんです。
大野さん:若い頃はバンドを組んでギターを弾いていたので、ウクレレもできるかなと。それでちょっと弾いてみたら面白くなってきて、動画を見ながら練習していたら、ハマってしまいました(笑)。何でも始めたら突き詰めたい性格なんです。人並み以上になりたいって気持ちが強くあって。
茂木さん:そんな時にウクレレに興味がある仲間が自然と集まったので、大野さんを含め、新たなメンバーで『マハーロ』を結成しました。メンバーの中には元PTA仲間もいて、気の合うメンバー同士で活動しています。
国産ウクレレの生産量は群馬県が一番多く、県内ではウクレレ熱が広がりつつあるそう。
ウクレレマハーロは現在9名で活動中。“マハーロ”とはハワイ語で「ありがとう」と言う意味。素敵ですね。
大野さん:マハーロで発表の機会を増やそうと、いろんな場所でのイベントに出演していました。すると、県内のウクレレ教室の方々と繋がる機会が増えて、少しづつ輪が広がってきました。そんな中、知り合いの講師の方がウィングプラザとみおかでウクレレ教室の講師をされていたんですが、その方から「忙しいから代わりに講師をやってほしい」と頼まれたんです。
大野さんは「頼まれると断れない」性格のようで、ご自身も忙しいながら講師を引き受け、ウクレレの楽しさを伝えています。
後期のウクレレ講座は10月から始まります。富岡市のホームページ、または市報でご確認下さい。初心者の方も大歓迎との事です。
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「新しいことを吸収したい」
マハーロが音楽イベントへ参加するようになると、大野さんはイベントをスムーズに進めたいと、音響のお手伝いをするようになりました。それがきっかけとなり、イベントで音響の仕事を引き受けるようになったのです。
大野さん:イベントへ参加する度に、若い人たちがやっている音響を見て勉強しています。新しいことを吸収したいから、どんどん質問します。どんな機材を使っているのか知りたいし、どう使いこなしているのかを聞いてきます。演奏がスムーズに進むのが一番でしょ。それで皆が楽しんでくれるのが嬉しいんです。皆さんに気持ちよく演奏してほしいと思って。
難しそうな機材を操り、「人生は勉強だから」と大野さん。私も勉強になります!!
ここでも「突き詰めたい」精神なのでしょうか。スタジオには徐々に揃えていったという様々な機材が置いてありました。
周りの協力があり寄付してもらった設備など。自分たちで使いやすいように手を加えているそう。
そんな大野さんの噂が広がり、今では『妙義フェス』や『貫前神社の石段コンサート』などで音響担当として活躍。年内もいくつものイベントで「音響さん」の仕事が入っていたり、介護施設での慰問などが予定されています。
とてもエネルギッシュな大野さん。大きな音響設備を運んだり、ウクレレの練習をするなど、活動の様子を伺うととても大変な事ばかりですが、そんな中でも人と人が繋がっていく事をとても楽しんでいるように感じます。
今後は音響の活動だけでなく、楽しい音楽イベントができるように、演者さんの繋がりを広げていけるような仕組みを考えていきたいとお話しされていました。
コロナも落ち着き、各所で賑やかな様子を見る機会が増えています。富岡がもっと元気を感じられる街になれたらと、富岡駅前での音楽イベント『駅おん』も秋に予定しているとのこと。どんなステージになるのでしょう?楽しみですね。…そのお話は、また今度お伝えしたいと思います。
(カネコ)