じめじめシーズン到来で、ココロもカラダもどんよりしちゃう。。
こんな時こそ、たっぷり歩いてリフレッシュしたいですね♪
今回は、私マツオが幼少期を過ごした黒岩地区を訪れました。
まゆといとでおさんぽシリーズをはじめた当初から「いつかゆっくり歩いてみたい!」と熱望していたこちらの地域。その理由は・・・
◎ 子どもの頃になんとなく学んだ「黒岩のオオツノシカ」って何だろう?!
◎ 親に連れられお寺の縁の下に潜ったアレは、一体何だったの??
これらのモヤモヤを、この旅を通してすっきり解決したい!と思ったのです。
それではいってみましょう~♪
◆旅のしおり◆
黒岩公民館をスタート 〜 大日尊 〜 オオツノシカの化石骨出土記念碑 〜 黒岩小の通学路を歩く
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今回ご一緒していただくのは、「黒岩の散歩の達人」こと勅使河原 清一(てしがはら せいいち)さんです。
勅使河原さんは富岡市黒岩生まれ。社会人生活のうちの36年間を大阪で勤務し、その後は生まれ故郷の黒岩にUターン。令和4年・5年度の上黒岩東区長を務めています。趣味は登山とゴルフで、毎日およそ2万歩のウォーキングを日課としている「散歩の達人」でもあります。
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子どもが潜る縁の下のヒミツとは・・・
最初に向かったのは、大日尊(だいにちそん)と呼ばれている大日堂遍照寺です。
大日尊は、大日如来を本尊とする真言宗のお寺で、南北朝時代に弘法大師のお告げをもとに建立されたと伝えられています。度重なる火災で焼失を繰り返し、現在の本堂は安永9年(1780年)に七日市藩主前田家などの援助で建てられました。
黒岩小学校の校歌の冒頭に「緑にあけてゆく朝の 大日尊の杜しずか♪」と出てくるほど、 この地域では馴染み深いお寺です。
朱塗りの鐘楼門と朱塗りの仁王像(タイトル画像参照)がインパクト大。
私が幼い頃、大日尊の本堂の縁の下に潜った記憶があるんですが、あれはどんな意味があったのでしょうか?
勅使河原さん:縁の下の根太(ねだ・床板を支える木材)に大きなこぶがあって、それに触れると麻疹(はしか)が軽く済むとか、頭が良くなると信じられていました。ひと昔前は、このあたりの子どもたちは親に連れられて、この縁の下に潜って大きなこぶを撫でたり、頭をこぶに当てていたのです。
なるほど、そうだったんですね!私も頭をゴツンと当てていた記憶があります(笑)。
後日、子どもと一緒に縁の下に潜ってみると…
ありました! 長い間みんなに撫でられ、光沢を放つ立派なこぶを発見!
時が流れ、そのこぶをわが子が撫でている姿を見たら…じんわりと温かい気持ちになりました。
大人でもしゃがんで入れる高さなので、興味のある方は体験してみてはいかがでしょうか。
みなさんがお住まいの地域でも、このような昔からの言い伝えがありますか?
次の世代の子どもたちにも、地域にまつわる話を伝承していけたらいいですね。
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いざ、まなび直しの旅へ
昔の話といえば、黒岩ではオオツノシカの化石骨が発掘されたことが有名ですね。
思い起こせば、私が黒岩小に通っていた頃、授業でオオツノシカを題材にした紙芝居を制作していたものです。
大日尊の境内には、オオツノシカについて書かれた掲示板があります。
《オオツノシカとは?》
今から30万年〜1万2千年前ごろの日本列島に生息していた大型のシカで、ヤベオオツノシカとも記される。肩の高さは1.8m、体長は2.6mの大きさがあり、頭に一対の大きなツノを持っている。日本列島に広く生息していて、旧石器時代の人々はオオツノシカを狩猟の対象としていた。
黒岩のオオツノシカの化石骨は2万5千年前の地層から出土したもので、その頃に生息していたと言われている。
勅使河原さんによると、オオツノシカの出土記念碑が上黒岩にあるとのこと。
それはぜひ行ってみたい!ということで、次の目的地へ向かいます。
大日尊から星川沿いに西へ900mほど歩いていくと看板を発見。
看板の先へ進み小高い丘を上っていくと、石造りの記念碑が見えました。
見た目もとても古いこちらの記念碑は、江戸時代の後期に建てられたそうです。
江戸時代にオオツノシカの化石骨が発見された場所は、川沿いの低地だったとのこと。ですが当時の人々は、川の氾濫の影響を考え、記念碑を小高い場所へ建てたのだそう。
日本全土に生息していたオオツノシカですが、なぜ黒岩のものが有名なのでしょうか?
勅使河原さん:なぜかというと、発見された時期が江戸時代と古く、保存状態がとても良いからです。どのように発見されたかというと、上黒岩を流れる星川の川岸が大雨で崩れ、その場所から化石骨が見つかりました。
当時はそれが何の骨なのかわからなかったのですが、地域住民は「きっと凄いモノに違いない!」ということで七日市藩前田家へ献上したんです。その後も蛇宮神社で大切に保管されていた経緯があり、昭和35年にオオツノシカのツノであることが専門家により判定されました。
なるほど、江戸時代から大切に保存されていたんですね。
私が小学生の頃はオオツノシカについての学習が盛んだった記憶があります。当時、校内に「子どもみこし」が飾られていて、そのおみこしの飾りとして迫力満点のオオツノシカが鎮座していたのをはっきり覚えています!今思うと、ずいぶん斬新な子どもみこしだったな〜(笑)。
オオツノシカ出土記念碑の場所
「オオツノシカってどんなもの?見てみたい!」という方は、上黒岩の『群馬県立自然史博物館』を訪れてみてはいかがでしょうか。実物大のツノや骨格標本のレプリカを見ることができますよ。
群馬県の公式動画「tsulunos」でも紹介されています。
⇒ 群馬県立自然史博物館の標本たち「ヤベオオツノジカの化石」
ところで、勅使河原さんはずいぶんと博学でいらっしゃいますね。興味深いお話を聞くことができて嬉しいです。
勅使河原さん:考古学や史学にハマった時期がありまして、高校時代は遺跡の発掘調査の手伝いをしていたんですよ。まあ、いろいろなことに興味があって、雑学が好きなんでしょうね(笑)。
小高い丘の上にある市立黒岩小学校
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子どもたちが毎日通う道だから
オオツノシカの話題で盛り上がった私たちが次に歩くのは、黒岩小学校の通学路です。勅使河原さんは日頃から、ある目的をもって地域の子どもたちが使う通学路を歩いているんだそう。
その目的とはズバリ「安全確認」です!!
勅使河原さんによると、子どもたちが一年中歩いている通学路は、季節によって「雑草が茂る場所」「スズメバチが巣をつくる木」「雨の時期の用水路」などの状況が変わるため、大人がきちんと様子を見ることが重要なんだそう。
ということで、安全確認の意識を持って歩いてみました。
この地域は緑豊かでのどかな景色が広がっていますが、今の季節は歩道沿いの雑草もかなり伸びていますね。
勅使河原さん:そうなんです。雑草がやっかいなので、毎年夏になる前に地域のみなさんの協力のもと、通学路の草刈りをしています。あとは、足元だけではなく頭上の木の枝も気にかけて見るようにしています。木が古くなると、枝も折れやすく危険ですからね。
学校の通学路だけではなく、地域の方から「この道路脇の草を刈ってほしい」「隣の敷地の雑草をなんとかしてほしい」などの要望も多いので、ひとつひとつ解決できるよう手助けをする…そういったことでも大忙しです。
区長さんは地域の方から頼りにされて、いろいろな相談を受けるんですね。では、区長をやってみて良かったことはありますか?
勅使河原さん:地域の多世代のみなさんと交流できることがおもしろいですね。私は長い間大阪で暮らしていたこともあり、これまでは地域と関わることがありませんでした。 区長の役割として、小学校の行事や様々な会議に出席したりと忙しい部分もありますが、そのおかげで地域と行政の繋がりの手助けができることに喜びを感じています。
それから、時々小学校の授業見学をさせていただくのですが、今の先生はきめ細かい授業をしていて感心します。実際の教育現場を覗くことができるのも、区長の役得ですね。
勅使河原さんのような方が地域にいらっしゃることを、とても嬉しく、そして誇りに思います。今日はご一緒していただき、ありがとうございました!
もともとは自身の健康のためにウォーキングを始めたと語る勅使河原さん。区長さんとして多忙な日々を送りながら、趣味のゴルフや登山の時間もしっかりと楽しんでいるお姿がとても頼もしく感じました。また、地元の方からその地に伝わる歴史を教えていただけたことも、嬉しいかぎりです。
勅使河原さんと歩いた翌日、「オオツノシカのツノを見てみたい!」と思った私は県立自然史博物館へ向かいました。出土ストーリーを知ったうえでそのツノを見てみると、なんとも感慨深いものでした。
まだ知らないとみおかの魅力を、とことん知りたい!!
みなさんのオススメお散歩コースなどありましたら、ぜひ教えてくださいね。
(マツオ)