移住関係の話題では耳にすることが多い、『地域おこし協力隊』という取り組み。
これは、“地方自治体が地域外の人材を受け入れ、地域協力活動を行ってもらい、その定住・定着を図る” という総務省の制度で、都市部の移住希望者と地方の架け橋として注目されています。
富岡市では、この制度を2015年度から導入。6年間で9名の地域おこし協力隊員が活動を行ってきました。
最長3年間の任期終了後も引き続き富岡市に住み続けている元隊員は、現在4名。移住定住コンシェルジュの濱田さん、大丸屋の浅井さん、そして今回ご紹介する三尾(旧姓:上原)和江さんも、そのひとりです。
これまでに、東京、ニューヨーク、奄美大島と、様々な土地で生活をしてきたという三尾さん。なぜ群馬県の富岡市に辿り着き、定住することを決めたのでしょうか?
大小の織機が並んだご自宅にお邪魔して、お話を伺ってきました。
【三尾 和江(みお かずえ)さん】
岡山県出身。東京でシステムエンジニアとして働いた後、ニューヨークへ留学し絵の勉強をする。日本の織物に興味を持ち、帰国後、奄美大島の大島紬の職人の元で修行。さらに糸づくりを学ぶため、群馬県へ。2016年4月〜2019年3月まで富岡市の地域おこし協力隊員として、養蚕・絹製品開発を行う。現在はパーソルサンクス㈱とみおか繭工房に勤務しながら、自身のブランド「Shinra(シンラ)」の制作活動を行っている。
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貴重な経験が詰まった、地域おこし協力隊としての3年間。
ニューヨークで日本の伝統的な布に興味を持ち、奄美大島で染織を学んでいた三尾さん。糸づくりについて調べるうちに、群馬県には養蚕文化が残っていることを知ります。そこで、当時募集中だった富岡市の地域おこし協力隊に応募。養蚕と絹製品開発を行う隊員として、2016年4月に着任しました。
― 地域おこし協力隊としての3年間は、どのような活動をしていましたか?
三尾さん:1年目は、蚕糸技術センターでの研修後に、養蚕農家の金井一男さんと高橋純一さんのもとで研修を受けました。お蚕さんが繭をつくるまでの2週間はかなりのハードスケジュールで、2週間が2ヶ月に感じるような濃さがありましたね。金井さんからも高橋さんからも惜しみなく愛情を注いでいただき感謝しています。
なかでも金井さんは当時75歳だったにもかかわらず、晩秋蚕は富岡で一番の生産量で、養蚕農家の皆さんからも尊敬されていました。
― 大丸屋の浅井さんも、金井さんのお話をされていました。本当にすごい方なんですね。
三尾さん:レジェンドですよね。そして2年目からは本格的に自分で養蚕をして、「シルクを使ったものづくり・ブランドづくり」を目標に、試作も含めてたくさんの作品をつくりました。イベントに参加したり、国の創業助成金事業に応募して事業を始めるという貴重な体験もしました。
― その当時の活動の様子は私も少し拝見していましたが、養蚕、糸取り、草木染め、機織り、ブランド立ち上げ、販売、事務作業…と、膨大な作業量を一人でこなす三尾さんの情熱には圧倒されました。しかもお蚕さんは、複数の品種を卵から育てていましたよね。
三尾さん:群馬の養蚕農家さんが飼育するのは、「ぐんま200」や「ぐんま細」といった蚕品種が一般的なんです。私はいろんなお蚕さんを育てて糸を取ってみたいという好奇心があったので、蚕糸技術センターなどから卵を購入して、10品種ほど育てました。
群馬の蚕品種だったら、私は「上州絹星」が大好きです。やわらかさと、マット調の色合いがいいですね。
― やってみたいことや目標を明確に持った状態で隊員になって、実際に、思い描いていたように活動することはできましたか?
三尾さん:2年目まではできていたんですが、3年目に販売というところでつまづきました。手仕事はとにかく時間や手間がかかるので、お客さんが求める価格に合わせるにはどうすればいいんだろう?と悩みましたね。そういった経験をすることができたのも、地域おこし協力隊制度のおかげです。
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定住の決め手は「恩返し」と「暮らしやすさ」
2019年3月、「いろいろな衣」と題した展覧会を市民ギャラリーで開催し、これまでの活動の集大成を披露した三尾さん。任期終了後は市内の一軒家に住居兼工房を移し、結婚もされ、新たな生活をスタートさせました。
― 任期終了後も富岡に住み続けようと思ったのはなぜですか?
三尾さん:今の私があるのは、地域おこし協力隊として3年間活動させていただいたから。お世話になった皆様のおかげで「Shinra(シンラ)」を起業することができたので、協力隊は終わっても、ご恩のあるこの地から富岡市発のブランド「Shinra(シンラ)」を育てていきたいと強く思いました。それに、暮らしてみたらとても暮らしやすいんですよね。
東京から2時間、軽井沢・長野は1時間以内、高崎まで20分。高速道路も近いし、災害も少なくて、気候がいい。シルクのシンボルである富岡製糸場があって、妙義神社と貫前神社が同じ市内にあるのもすごいですよね。スーパーもたくさんあって不便もなく、自然も楽しめて、野菜も安く手に入るし…。なにより、富岡市の方は人柄がいいです。
― 同感です!ちなみに旦那さんも、富岡の人ではないんですよね。
三尾さん:はい、富岡市出身ではないですが、市内で出会いました。お互いの両親が富岡に来た時にも、「いいところだね」と言ってもらえました。
とても親切な大家さんとも出会うことができたので、引っ越す理由が見つからないですね。
― お家との縁も人との縁もあって本当に良かったです。ところで、いろんな土地を見てきた三尾さんが思う、富岡の人の特徴ってありますか?
三尾さん:江戸っ子っぽいところがありますよね。思ったことはハッキリ言うけれど、情に厚くて。それに女性がとても元気で、さすが「かかあ天下」だなと思います。
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夢見た未来を叶えるノート
「森羅万象」から『Shinra(シンラ)』と名付けられた、三尾さんのブランド。日本の伝統の技や人の想いを活かしたものづくりをするという構想は、ニューヨークに行く前からあったそう。シルクの副産物であるきびそ布を使ったバッグやスツールは、富岡市のふるさと納税の返礼品にも採用されています。
― 現在は注文を受けた商品やアクセサリーの制作を続けながら、お勤めもされているそうですね。
三尾さん:週5日は妙義町のパーソルサンクス㈱とみおか繭工房で正社員として働いて、平日夜と週末に副業としてShinra(シンラ)のお仕事をしています。とみおか繭工房は障害者雇用を通して養蚕を次世代につなぐことを目指していて、私は、シルクや桑で手仕事を活かしたものづくりをするチームでお仕事をさせていただいています。
― 養蚕と手仕事という点が共通していて、三尾さんにぴったりのお仕事ですね。副業としてシンラをやっていくことになって、何か変化はありましたか?
三尾さん:時間が限られたことでできることが絞られて、むしろ集中力が上がりました。やりたいことが整理されて、メンタルも強くなって。今までは独りよがりになっていたことにも気づけました。両方のお仕事の経験を互いに活かせるいい関係性なので、今の環境になってすごく成長もできて、とても良かったなと思っています。
令和3年富岡市成人式で新成人に贈られた「原点富岡 未来NOTE」
― 最近では、成人式で新成人に贈られる記念品の制作にも携わられたそうですね。ノートを贈ろうと考えたのはなぜですか?
三尾さん:自分自身が以前からノートに自分の夢を書き込んできて、その夢が現実化しているので、「原点富岡 未来ノート」を提案しました。ノートの中には、富岡オリジナルのものを入れたくて、とみおか繭工房の手漉き桑和紙を入れました。表紙の白は繭を、見返しの緑は桑をイメージしています。
新成人の皆さんの「原点」となる「富岡」を感じてもらえるよう、メッセージカードも同封しました。ぜひ、新成人の皆さんに夢を書き込んでもらい、叶えていただきたいと思っています。
― 「ノートに書いた夢が叶いました」という報告が聞きたいですね!
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たくさんの人に富岡シルクを知ってもらい、喜んでもらいたい。
― これからは、どんなことをやっていきたいですか?
三尾さん:とみおか繭工房では、障害のある社員が成長をしていくお手伝いを。Shinra(シンラ)では、富岡シルクを広める活動もしていきたいです。
また、真綿についてもっと深掘りして技術を高めて、自分の世界観を確立していき、織物で絵を描きたいと考えています。もともと織物を始めたのは、絵では天才たちには太刀打ちできないという、小さな挫折を経験したことがきっかけでした。悩んでいた時に目の前にたくさんの可愛いはぎれがあって、これと絵を足してみようと考えたんです。
富岡市のこと、養蚕のこと、絹のこと、手仕事のことをたくさんの人に知ってもらい、未来へ繋いでいけるようなものづくりができるよう、一歩ずつ前へ進んでいこうと思います。
●パーソルサンクス株式会社 とみおか繭工房
シルクに関連した商品、桑枝を活用した和紙の商品は、富岡製糸場、お富ちゃん家、道の駅みょうぎ、道の駅しもにた、ファームドゥ食の駅前橋吉岡店にて販売中です。
《お問い合わせ》
とみおか繭工房 TEL. 0274-73-3350
●合同会社 シンラ
⇒ブログ
⇒ふるさと納税(ポータルサイトにて「富岡 きびそ」で検索してください)
相手の年齢に関係なく、知らないことは「教えていただく」という姿勢を常に持ち、周囲への感謝の気持ちを何度も口にしていた三尾さん。その謙虚さがあるからこそ、良い環境を引き寄せているのかもしれないと感じました。
三尾さんが携わった手仕事を目にする機会が少しずつ増えていくことを、とても楽しみにしています!
(ナカヤマ)