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まゆといと

2025.09.24 移住-Iターン

【食事処カフェ 玉屋】やの雪さん

2009年に閉館した妙義・玉屋ホテルが今年、新たなオーナーによって命を吹き込まれ、【食事処カフェ 玉屋】としてグランドオープンしました。

 

昔からある建物を修繕し、カフェとして活用する。そんな姿勢に心を打たれてお店のことを調べてみると、オーナーのやの雪さんは、テルミン奏者として音楽活動を行う有名なアーティストでもあったのです。

 

やの雪さんの活動に興味が湧いたマツオは、カフェにまつわるお話はもちろん、これまでのストーリーもお聞きしたいという思いに駆られ、お店へと向かいました。

 

 

 

【やの雪 さん】

愛媛県出身。東京を拠点にテルミン奏者として音楽活動をするさなかに、妙義移住を決断。今年の春、かつて宿泊施設だった妙義神社近くの玉屋ホテルの一部を改修した『食事処カフェ 玉屋』をオープン。

営業日やイベント情報はこちらをチェック ⇒ お店のインスタグラム

 

 

 

 


 

 

 

良質なカルチャーに育まれ、芸術の礎を築く

 

 

― やのさんは愛媛県のご出身ということですが、幼少期はどんなお子さんでしたか?

 

やのさん:私自身はとても天真爛漫な子どもだったと思います。自宅にはダンスホールがあって、父がクラシックバレエの講師、母は社交ダンスの講師をしていました。レッスンをしているダンスホールからは、クラシック音楽やタンゴやワルツ、流行歌が流れていて、多様なジャンルの音楽に囲まれて暮らしていましたね。そのような環境で育ったので、私も幼少期はバレエやピアノを習っていて、中学生の頃は「クラシックのレコードなら何でも買ってやるぞ」という父親の影響で、クラシックを聴きまくりました。でも本当は画家になりたくて、美術学校に通って油絵を描いていた時期もあったんです。

 

― 育った環境に当たり前のように音楽や芸術が存在していたんですね。そのような日々を経て、音楽の道へと進まれたきっかけは何だったのでしょうか?

 

やのさん:若い頃はいろいろなものに興味があって、パントマイムをやったり、アカペラでボーカルパフォーマンスをやったり、音楽ライブのコンテストに出たりもしていました。そしてミュージシャン兼音楽プロデューサーでもある赤城忠治氏から「君はテルミンという楽器をやるといいよ」という言葉をかけられました。彼が私にその楽器を引き合わせてくれたんです。

赤城氏の言う通りテルミンを弾いてみると、自分が思っていたとおりの楽器で、その魅力に惹かれました。私が始めた頃はまだテルミンを弾く人が日本にはいなかったのですが、2001年にテルミン博士の映画が上映されると、テルミンブームが巻き起こったんですね。そこからテルミン奏者としてテレビ番組やイベントに呼ばれるようになり、忙しくなっていきました。

 

 

モーグ社のテルミンを演奏するやのさん

 

 

〈テルミンとは〉1920年にロシアの物理学者レフ・セルゲーヴィチ・テルミンにより発明され、「世界最古の電子楽器」と言われている。二本のアンテナから発する電波に手を近づけたり遠ざけたりして、手を触れずに演奏を行う。

 

 

 


 

 

 

時には立ち止まるのも大切なこと

 

 

― やのさんはどんなきっかけで妙義に移住されたのでしょうか。

 

やのさん:今から16年前のことなのですが、当時は音楽活動が多忙を極め、月に何十本ものツアーで日本各地を飛び回る日々を送っていました。その時期に母親が重い病気で入院し、東京と京都を行き来するような生活をしていたところ、、、母親が息を引き取った直後にあった大切なコンサートで、私は倒れてしまったんです。

「自分を見つめ直す時間が必要だ。」そんな思いが頭に浮かびました。

その時に妙義の物件とこ゚縁があり、自然豊かな環境に惹かれ、ここにスタジオを作って音楽活動をしながら暮らしたいと思い、移住を決めました。

 

―  都会暮らしが長かったやのさんにとって、妙義の暮らしはいかがですか?

 

やのさん:私は妙義に知り合いがいたわけではなく、ポンっとここへ来て住みはじめましたが、不便なことは何もありません。地域の方々も私を気にかけて優しくしてくれるので、居心地がいいですよ。ここで暮らし始めてから、季節の花を楽しんだり、夕暮れに妙義山から下りてくる涼しい風を浴びたりと、自然を感じて景色を楽しむゆとりもできました。

私が所属している音楽事務所が都内にあるのでそちらへ行くことがあるんですが、今では東京にいると人の多さに疲れてしまって、「早く妙義に帰りたい」って思っちゃいます(笑)。

 

 

 

 

― 現在やのさんがカフェをされている旧玉屋ホテルとは、どのようなご縁があったのでしょうか。

 

やのさん:玉屋ホテルが売りに出されている時に女将さんとお話しする機会があり、そこから意気投合して仲良くなりました。「この場所が明るくなったらいいな」と思い、玉屋ホテルを所有することにしたんです。

 

― カフェを始めるためではなく、この場所を生かしたいという気持ちで引き継がれたのですね。

 

やのさん:ゆっくりコツコツとこの建物と向き合っていこうという心境でした。そこから少しずつ、カフェにするならどんなメニューを出そうかな?こんな食器を使おうかな?なんて考えたりして、カフェとして活用する準備を始めていったんです。ホテルを一から自分のイメージで変えていくというのは、面白かったですね。しかしその後、私自身が大きな事故にあってしまい、リハビリ期間に6年を要しました。

 

 

玉屋の入り口にはふたたび水車が回り、涼し気な水音を立てている。

 

 

― オープンまでの道のりは大変でしたか?

 

やのさん:いざ行動に移してみると、思ったよりも楽しかったです。館内の内装が湿気にやられていて状態が悪かったんですが、傷んでいた部分を修繕したり、自分で塗装したりするのも楽しかったですね。カフェで使う食器を買いそろえるのもワクワクしました。もともとコーヒーも紅茶も大好きで、陶磁器や洋食器を見るのが好きだったんです。

 

 

お客様の雰囲気に合わせたコーヒーカップで提供してくれるのも、楽しみのひとつ。

 

 

 


 

 

 

おばあちゃん秘伝の『熟成黒みそ』との出会い

 

 

みその風味が食欲をそそる名物「黒いなり」

 

 

― カフェの看板メニュー「黒いなり」は、どのようにして生まれたのでしょうか?

 

やのさん:私は妙義に住み始めてから、松井田のとあるお店で『熟成黒みそ』をよく購入していたのですが、ある日その商品が店頭から消えていたんです。そこで私が製造元のおばあちゃんに「黒みそを個人的に購入したい」とお願いしたら、「今ある黒みその樽を全部あなたに託すから、後継者になっておくれ」と言われて、、、急遽『熟成黒みそ』の後継者になってしまったんです。託された黒みそは予想以上に大量で、60キロのみそ樽の数が80個もありました。

 

― そんなにたくさん!?

 

やのさん:大量の黒みそをどうにか活用できないかな?ということで、黒みそを使った「いなりずし」を作ることにしました。黒みそ自体にクセがあるので、それを美味しくいただけるように工夫を凝らして出来上がったものが、この「黒いなり」です。

 

― その美味しさの秘密を知りたいです!

 

やのさん:こだわりの材料でじっくり時間をかけて作っています。おばあちゃんから受け継いだ熟成黒みその他にも、天然醸造のお醤油、沖縄産黒砂糖、赤城山麓のお水を使った油揚げを使用して、「おばあちゃんのお味噌をいただいたからには大切に使いたい」という思いを胸に、丹精込めて丁寧に作っているんですよ。

 

 

 


 

 

 

さまざまな文化に触れられる場に

 

ホテルだった頃の雰囲気が残る落ち着いた店内

 

 

― やのさんが今後やっていきたいことを教えてください。

 

やのさん:ありがたいことに、妙義に来てから人との出会いに恵まれて、みなさんに助けていただきながらカフェをオープンすることができました。もともとはこのホテルのロビーでコンサートをしたいという思いがあったので、これからは音楽イベントやカルチャーを体験できるような機会も提供していきたいです。

妙義で暮らす日々は、私にさまざまな気づきや彩りを与えてくれました。そのようなたくわえをこれから演奏家として表現していくのも、楽しみの一つですね。

 

 

★ 9月下旬には店内にて、やのさんも出演するイベントが開催されます!

イベントのお知らせ

(チケットは店頭にてお買い求めいただけます。事前に電話予約の上、イベント当日のご精算も承ります。)

 

【玉屋カフェ】

群馬県富岡市妙義町妙義173

TEL. 0274-73-3633

 

 

 


 

 

チャーミングで飾らないやのさんの人柄に、すっかり魅了された私。

重厚感のある落ち着いたカフェの居心地が良く、やのさんが丁寧に淹れてくれたコーヒーも美味しくて…ずいぶんと長居してしまいました。

 

カフェとして訪れるだけではなく、やのさんが厳選したカルチャーに触れられるイベントに参加してみてはいかがでしょうか。最新情報はお店のインスタグラムを覗いてみてくださいね!

 

(マツオ)

 

 


 

 

陶芸家 萩原 将之さん

 

 

【あまのじゃく】まっすぐな思いをステージに