富岡市の暮らしと移住のWEBマガジン
まゆといと

2021.11.22 移住

陶芸家 萩原 将之(はぎわら のぶゆき)さん

ある日 妹の家を訪れたときのこと。

 

目の前に青いうつわに注がれた紅茶が置かれた。

琥珀色の熱いお茶から立ちのぼる白い湯気。

日常の何気ないひとときが、とても豊かな空間に感じられた。

 

しばらくこのうつわを眺めていると、中央アジアの国々の情景が思い浮かんだ。

青いタイルで装飾された建物や異国情緒ゆたかなバザール(市場)の風景がはっきりと想像できる。

 

紅茶をいただきながら、その強くしなやかで優美な青いうつわに見惚れていると、 「これは妙義山のそばに住む作家さんが作っているんだよ。」と妹が話してくれた。

 

――― 妙義山麓で作られるうつわ・・・

 

そのことばの響きに強いエネルギーを感じる。

 

どんな作家さんがどんな思いでこのうつわを作っているのだろうか。

ぜひお話を聞いてみたい、と思った。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

道の駅 みょうぎ」の駐車場で車を降りると、凛とした朝のつめたい空気がとても心地良い。妙義山を訪れるたびに、この山が持つ気高さと神秘的な雰囲気にすっと背筋が伸びるのはなぜだろうか。

 

萩原さんの工房へと歩いていく途中、白く美しい愛犬を連れたご本人が出迎えてくれた。

工房のなかは整理整頓されており、とてもさっぱりと片付けられている。

取材に訪れた日は萩原さんの個展期間中で、作品のほとんどは会場へと旅立っていったあとだった。

 

 

 

今回は多忙な萩原さんにご協力をいただき、いろいろなお話を伺いました。

 

 

 

【 萩原 将之(はぎわら のぶゆき)さん】

1979年 茨城県土浦市に生まれる。2000年 化粧品ブランドM・A・C専属メイクアップアーティストとして都内に勤務。2002年 浦和造形研究所にて陶芸を学ぶ。2005年 富岡市妙義町出身の奥様との結婚を機に群馬県へ移住し、妙義山麓に工房を構える。2013年 D &DEPARTMENTプロジェクト『NIPPONの47人CRAFT』群馬県代表に選出される。

 

 

 


 

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青いうつわのルーツ

 

 

Photo by Nobuyuki Hagiwara

 

 

 

―― 子どもの頃はどんなお子さんだったのでしょうか?

 

 

萩原:小さい頃から絵を描いたり、なにかを作るのが大好きでした。運動も得意で活発な子どもでしたが、その一方で、紺色に執着するという一面もあり母親を心配させたこともあります。身の回りのもの、帽子にリュック、洋服や靴下、スニーカー、自転車もぜんぶ紺色や青色のものを揃えてもらいました。靴下の紺色が色褪せてくると気に入らなくて、まだ使用できるものでも「もう履きたくない」と言っては母親を困らせていました。

 

 

―― そのころから「色」に対してのこだわりがあったんですね。いま作陶されている青いうつわのルーツがなんとなくわかりました。

 

 

萩原:青いうつわをつくったのは、沖縄の陶芸家・大嶺 實清(おおみね じっせい)さんが作る青い焼きものを見たときに「こんなにやっちゃってもいいんだ!」という衝撃を受けたことがきっかけです。自分の好きな青色にこだわって好きなものを作ることは、やっていて楽しいと感じました。青の世界は懐が深くて、いろんな表情をみせてくれる。まったく飽きないですね。

 

 

 


 

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紆余曲折の日々

 

 

Photo by Nobuyuki Hagiwara

 

 

 

―― もともとは有名コスメブランドのメイクアップアーティストというお仕事をされていましたが、そこからなぜ陶芸の道へ進むことになったのでしょうか?

 

 

萩原:20代の頃は「自分にはメイクアップアーティストの道しかない」と思い、毎日技術を磨き切磋琢磨していました。しかし仕事は多忙で、過労も重なり体調を崩してしまって。しばらくメイクの仕事を離れて休養していたときに、当時の彼女(のちに今の奥さま)の勧めで、気分転換になると思い陶芸をやってみたんです。はじめて陶芸の粘土に触れたときに、ビビビッと衝撃が走りました。粘土の感触が心地よく、気持ちが解放されてストレスが消えていく。ずーっと陶芸をしていたいという気持ちに駆られました。

 

それからまもなく「本気で陶芸をしよう!!」と決意し、メイクの仕事を辞めて陶芸のための資金作りを始めました。当時はまだ若かったので、肉体労働をしながらお金を貯めて。奥さんの実家が妙義なので、結婚を機にこちらで暮らすことになり、山のなかで念願の薪窯を作ろう!と陶芸を生業にする覚悟を持ってやってきました。

 

 

Photo by Nobuyuki Hagiwara

 

 

 

―― なるほど、ご結婚のタイミングで移住されたんですね。陶芸にかける夢と希望を持ってやってきた、若いエネルギーと勢いを感じます。

 

 

萩原:いままで行動力と瞬発力で生きてきたようなものです。思いついたらすぐにやる。いま考えると、若いころはずいぶん無謀だったなーという思いもありますが…。

 

陶芸は奥が深く、1~2年ですべての技を習得できるものではないので、妙義で工房を構えてからは日々学びの連続でした。自分で耐火レンガを積んで薪窯を作ったものの、きちんと焼成できず失敗を重ねる毎日。精神的にも追い詰められて、貯蓄もどんどんなくなっていく。 試行錯誤を繰り返してなんとか作品を作り、出来上がったうつわをリュックサックに詰め込んで都内へ行商に行くこともありました。

ほとんどのギャラリーでは相手にもされなかったのですが、麻布にあるギャラリーで一点だけうつわを置かせてもらえたんです。するとその日のうちに売れて、「もっと萩原さんの作品を置いて欲しい!」と催促の連絡をいただきました。そこから良い方向の流れに乗って、麻布のギャラリーでの個展開催のお話を頂くことになって。

 

 

―― 青いうつわが日の目を見るときがやってきたんですね。

 

 

萩原:いいえ、そこからまだまだ紆余曲折の日々が続きます。 麻布での個展は成功したのですが、それから陶芸活動を続けていく資金が底をつきました。

いまから12年くらい前になりますが、いったん陶芸活動を休止して、家族を養うために会社勤めをした時期があります。そのころは平日は働き、週末は子どもの相手をして…陶芸にはいっさい関わらないようにしていました。

そんな自分を当時5歳の娘が「さいきんのお父さんはおもしろくない」と言ったんです。そこでハッと気がつきました。自分は陶芸をしているときは生き生きしてたんだなって。

 

 

工房には「おとうさんが すごいとうげいかに なりますように」と書かれた短冊が

 

 

 

―― お子さんから見てもお父さんが陶芸をしている姿はかっこよく映ったんでしょうね。それから陶芸の世界に戻ってこられたんですか?

 

 

萩原:当時の職場の違う部署の方が私のことを気にかけてくれて、陶芸と仕事を両立できるようにシフトを組んでくれたんです。その方は、いまは動楽市の運営スタッフをしている坂本さんという方で、当時は本当にお世話になりました。仕事が休みの日は一緒に軽井沢のギャラリー巡りをしたり、これからのことを見据えて「ブログ」をやったほうがいいとか、色々なアドバイスをくれたんです。そのころは坂本さんのおかげで作陶する時間も持てたので、順調に作品を作ることができました。

 

その後、作品がたまり個展ができる状況になって都内で個展をしていたところ、あるデザイナーさんが私の作品を気に入ってくれて。その方は D&DEPARTMENT ※ の関係者の方で、2013年の「NIPPONのクラフト47人」の群馬代表に私を推薦してくれたんです。ここで選出して頂いたことで私の名前が世に出ることになったと思います。さらに、高校時代の同級生の徳永勝也氏が経営する浅草の「THE BOOTS SHOP」で個展をしませんか?と誘っていただいたり、いろいろなご縁が巡ってきました。

 

※ D&DEPARTMENT:「ロングライフデザイン」をテーマにしたストアスタイルの活動体。物販・飲食・出版・観光などを通して、47都道府県の「個性」と「息の長い、その土地らしいデザイン」を見直し、全国に向けて紹介する活動を行っている。(D&DEPARTMENTホームページ

 

 

 

 


 

 

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「突き抜けたものをつくりたい」

 

 

Photo by Nobuyuki Hagiwara

 

 

 

―― 青いうつわの世界が軌道に乗りはじめましたね。

 

 

萩原:この頃から、ファッション系・美容系の方たちが青いうつわをSNSで紹介してくれるようになりました。インターネットの普及で、私の作品をオンラインショップで購入してくれる方がどんどん増えていき、時代の流れを実感しました。そして、オンラインショップでは自分の作品がすべてSOLD OUT状態に。。こうなると、ネット上で “萩原将之の作品探し” が始まり、購入できるのであればどこのネットショップでも構わないという風潮になってしまって。

 

ここで原点に立ち還り『陶芸家がつくる作品』についてじっくりと考えるようになりました。 大量生産をして、売るためだけのうつわを作りたくはない。【アーティスト、陶芸家が作るもの】と【プロダクト、工場生産】との一線を画さないといけない。さらに一歩先を行くもの、突き抜けたものをつくりたいというチャレンジする気持ちも強くなりました。

それからはひとつひとつの個展に重きをおいて、個展会場に足を運んでくださるお客さまを大切にする、ということを念頭において作品を作っています。個展会場で初めて出会う作品を見てもらいたいんです。

 

 

―― 新しい作品に出会える、個展に足を運ぶことが楽しみになる、これらはとても意味があることですよね。いまは年間で6本の個展が確定しているそうですが、萩原さんにとっては毎回新たなものを生み出すエネルギーも必要ですね。

 

 

萩原 :いまは個展に向けて新しい挑戦をすることがとても楽しいです。いろいろな青を表現したくて、どんどんアイディアが湧き出てきて、毎回ワクワクしています。

 

最近は陶芸一本で食べていけるようになりましたが、それまでは人生つな渡り状態でした。振り返ってみると、ピンチに陥ったときは、そのときそのとき必死に自分ができる最善を尽くしていた。もがいていた時期には人との出会いがあり、人に助けられた。ボロボロになりながらも、なんとかいままで続けてこられた。

陶芸を諦めず、辞めなくて本当に良かったなと、いまになって実感しています。

 

 

 

イギリス製アンティークの作業用椅子は座り心地にこだわったもの

 

 

 

―― 最後に、妙義山での暮らしはいかがですか?

 

 

萩原:移住したてのころは、近所の方たちが「陶芸をやっている若者がいるが、この先やっていけるのだろうか?」と私のことを噂していました。陶芸活動がパッとせず低迷していた時には、周りからの声が耳に入り精神的に辛かったこともあります。しかし今では、工房にご近所さんがふらっと遊びに来て、ロクロを回している私を静かに見物していたり(笑)。地域の皆さんが私を応援してくれていることを感じます。

 

季節の野菜をいただくことも多くて、冬になると大根がたくさん届けられたりして、ここは本当に良いところだなって思います。 妙義山は美しいし生活もしやすいから「なんでみんなここに住まないのかな?」って。車さえあれば高速道路のインターも近くて、東京へもすぐに行けちゃう。 休日にふらっと軽井沢に出かけられるのも便利ですね。

 

 

 

Photo by Nobuyuki Hagiwara

 

 

 

 


 

 

 

萩原さんとお話ししていると、とても穏やかでありながら、その内面に秘められた力強いメッセージと生きる力を感じる。順風満帆とはいかず、必死にもがきながらも陶芸活動を諦めなかった半生。 陶芸に対する強い気持ちが原動力となり、次々と新しい作品を生み出してゆく姿。

 

つぎはどんなものを作るのかな?――― 萩原さんの頭のなかでは、私たちの想像を軽く飛び越えてしまうような、新しい世界がどんどん広がっているのだろう。

使い手に新鮮な風を送ってくれるような、妙義山麓生まれの青いうつわ。なんだかこちらも勝手にワクワクしてしまう。

 

「陶芸を辞めなくてほんとうに良かった」

そのことばに共感するとともに、萩原さんの今後の活躍が楽しみでしかたがない。

 

(マツオ)

 

 

 

 

●萩原 将之 オフィシャルオンラインショップ

https://nobuyukiblue.official.ec/

 

 

 


 

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