みなさんには、ケガや腰痛などの時に診てもらえる、かかりつけのお医者さんはいますか?
我が家の娘が部活でケガをした時のこと。「どこで診てもらおう…」と探してみたものの、 学校が終わった夕方には診療時間が終わっているところが多く、困ってしまったことがありました。
土日の午後に診てもらえる所を見つけてさっそく行ってみると、待合室にはたくさんの野球グッズがずらり。入り口正面にあるダイヤモンドペガサスのユニフォームをはじめ、プロ野球チームのユニフォーム、甲子園出場記念のタオルやバットなども並んでいました。
「ここの先生はものすごい野球好きなんだ…」と驚きつつ待合室に置いてある資料を読むと、その先生のプロフィールにはすごい経歴が書かれていたのです。
【肥田 貢次(ひだ こうじ)さんプロフィール】
横浜市出身。東海大相模高校、上武大学の野球部を卒業後、群馬ダイヤモンドペガサスに入団。その後、米国カリフォルニアウィンターリーグ、パームスプリングスパワーでのプレーも経験する。現役引退後は柔道整復師の資格を取得し、5年前に富岡市でナイン整骨院を開業。
小学生の頃、お兄さんが少年野球チームに入ったのをきっかけに自身も野球を始めたという肥田貢次さん。上武大学進学を機に群馬での生活が始まりました。
そこから富岡の知り合いを通して整骨院を開業し、現在では富岡高校野球部の臨時コーチとして高校生への指導もされています。
人生の大半を野球と共にしてきた肥田さんに、富岡で整骨院を始めたきっかけや、富岡の子どもたちとの野球を通しての関わり合いについて伺いました。
教え子さんから届いた甲子園出場の記念タオル。
院内で好きな野球チームのユニフォームが着られます!
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自身の経験を子供たちへ
― 待合室で「野球塾」のチラシを目にしました。そもそも野球塾とはなんですか?
肥田さん:学習塾のような感じです。試合をするのではなく、個別に指導をしています。学校の部活動では行き届かないところなどを指導していて、「もっと向上したい」「高校で野球部に入って甲子園へ行きたい」という中学生が多く通っています。中学野球と高校野球ではボールの硬さが違うので、それまでとはガラッと変わってしまうんです。
野球塾の様子
― 岡本農村広場や馬山多目的グランドなどで行われているのですね。では、肥田さんが富岡で野球塾を始めたきっかけを教えてください。
肥田さん:富岡で開業する前に高崎の整骨院で働いていた頃、ダイヤモンドペガサスのスポンサーだった方から声をかけられたんです。富岡にお住まいの方で、高校進学を控えた息子さんに硬式球での指導をしてほしいと言われたのがきっかけでした。その当時は富岡に野球塾はなく、私自身も子どもたちに指導をしたいという思いがあったのでお引き受けしました。
― プロの選手だった方から指導を受けられるのは心強いですね。その後、富岡で整骨院を開業されたのですか?
肥田さん:知り合いから、ここの大家さんを紹介してもらいました。資格の勉強を始めた時から開業を目標にしていたのですが、私の妻が下仁田町の出身という事もあって、この土地で始めることにしました。以前この建物は薬局だったようで、開業して5年ほどになりますが、たまに処方箋をもって来られる方もいらっしゃいますね(笑)。
オレンジ色の看板が目印です!
― 道路から見えるオレンジの看板が目立ちますね。
気になるのはナイン整骨院の “ナイン”。やはりプレイヤー数の “9” ですか?
肥田さん:そうです。整骨院を始めるときに、自分の名前をそのまま付けたくなくて。よく野球チームを「〇〇ナイン」と言うことがあるので、ナインから野球って言うのを連想してもらえたらいいかなと(笑)。スポーツでケガをした時に、この “ナイン” を思い出してもらえるといいですね。
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富岡の野球を盛り上げたい
野球塾をきっかけに富岡で整骨院を開業し、徐々にこの土地での野球関係の知り合いが増えていった肥田さん。ある日、元プロ野球選手でダイヤモンドペガサス初代監督の秦 真司さんとお二人で、富岡市主催の野球塾に招かれます。するとその後、富岡高校野球部OB会の方々に、高校での部員指導をお願いされたそうです。
肥田さん:OB会の方の「野球部をもっと盛り上げたい」という熱い思いを受けて、秦さんと昨年3月から指導しています。今は基礎をつくっているところで、何年か掛かりそうですが少しづつレベルアップして、一つでも多く勝てるようになってほしいですね。生徒たちも頑張ってくれています。何年後かに部員数がもっと増えて、「富岡高校野球部が強くなったね」と思ってもらえるよう指導していきたいです。
― これまで長く野球をされていて、大変なことも多かったのではないでしょうか。
肥田さん:そうですね、苦労も多かったです。もちろんいい時もありましたが、大変な時もありました。その大変さも楽しめないとダメですね。でも紆余曲折してきた分、「ダメだったら今度はこっちを試してみよう」という柔軟な考え方ができるようになりました。生徒たちへの指導も決めつける事はせず、「こんな感じでやってみたら」という風に声をかけています。
診察室には野球選手のサインが並んでいます。
― 野球を通して中学生や高校生と交流されて、すっかり富岡に馴染んでいる様子が分かります。こちらに来て約9年、富岡での暮らしはいかがですか?
肥田さん:富岡の住み心地はいいですね。以前は七日市のアパートにいましたが、駐車場付きで驚きました(笑)。都心だと駐車場は借りないといけないのに、最初から付いてるんですよ。
今住んでいるところも便利ですね。ただ電車が…毎年年末に野球関係の集まりが都内であるんですが、終電が早くて帰ってくるのが大変で…。困ったことはそのくらいかな。
― 電車問題、あるあるですね。
「診療では分かりやすい言葉を心がけています」という肥田さん。娘がお世話になった時も、ケガの状態の説明がとても分かりやすくて安心しました。
学生のみなさんはスポーツをしていると、身体の不調があっても試合を休めない時がありますよね。そんな時、肥田さんは少しでもベストな状態になるように調整してくれます。
「痛みが10から9になっただけでも、アスリートは楽に思えますから。」と、ご自身のアスリートとしての経験を活かして、身体のバランスや調整の仕方などを的確にアドバイスをしてくれるのです。
寄り添ってくれる方がいるのは心強いですよね。
待合室にいると、スポーツ少年が「こんにちは!」と入ってきました。
診察室では子どもたちと気さくに今日の出来事などを話す声が聞こえてきて、肥田さんの人柄が伺えます。
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野球を辞めたいと思ったことは?という質問に、肥田さんからは「ありますよ、でも結局好きなんですね、野球が。」と返ってきました。
好きな事を続けてこられた事、現役を引退された今も野球に携わっている事は、簡単な事ではないと思います。それを続けられた肥田さんには芯の強さを感じ、その強さがが子どもたちの気持ちに寄り添った指導や診察になっているのかなと感じました。
昨年、WBCで盛り上がった野球。この富岡市からも大谷さんのような素敵な選手が出てきてくれるかなあと、休日のグラウンドから聞こえてくる少年野球の声に、夢が膨らんでしまいます。
(カネコ)