富岡市の暮らしと移住のWEBマガジン
まゆといと

2020.09.14 地域で働く

運命のいたずらで塾長に? 黛 直樹さん

皆さん、地元の同級生のその後の人生って、どれくらい知っていますか?

 

学生時代は当たり前のように一緒に過ごしても、卒業後のことを深く知っている同級生は数人だったりしますよね。「あいつ今何してる?」なんて気にはするものの、住む場所も変わったりして、なかなか知る機会がなかったり。

 

ですが最近、Uターンをして地元・富岡で仕事をするようになった私ホシナは、一人の同級生と偶然再会しました。

 

その人物は黛直樹さん。聞けば「フィリピン留学から帰国後、富岡に戻って学習塾の塾長をしている」と言うではありませんか。

 

同じ富岡に住む同級生が、一体どんな人生を送ってきたのかが気になった私。「フィリピン留学のこと」「どうして富岡にU ターンしたのか?」「なぜ塾長になったのか?」「コロナ禍で負担を強いられることとなった最近の教育事情」について、聞いてみることにしました。

 

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【黛直樹さんプロフィール】

黛直樹(まゆずみ なおき)。富岡市神農原にある茂木進学塾で、今年1月から塾長を務めている。富岡西中学校・富岡高校出身。高校卒業後、1年浪人をして国内の国際大学へ進学。しかし憧れとは全く違う学生生活が始まる。そんな中、人生を変える出会いが・・・。

 

つづきは本文で!

 

 


 

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大学中退、フィリピン留学へ

 

 

 

― どうしてフィリピンに留学を?

 

黛さん:生徒の半数が外国の人たちという国際大学に入学し、国際協力の研究をするサークルに入りました。そのサークルの代表が、社会人入学で大学院にいた先輩だったんですが、とにかく凄い人だったんです。言ったことはすぐにやる有言実行な人で、憧れを抱いた私は「この人のベースにあるものは何か?」と、尊敬する先輩の生い立ちに関心を持ちました。

その先輩が、父親の仕事の関係で幼少期から成人するまでをフィリピンで生活していたという経緯を知り、そこでフィリピンに興味を持ったんです。

 

― 留学に至るほどの、強い憧れだったんですね。

 

黛さん:浪人してまで入った大学で、受動的な授業に全く魅力を感じず、求めていたものとのギャップに落胆していました。先輩との落差を痛感する中、フィリピンで学ぶことに魅力を感じて、先輩にその気持ちを相談したんです。「自分もフィリピンに行って、学んでみたい!」と。すると最初は「危ない、 やめたほうがいい」と言われました。

でもそこまで熱意があるなら…と、ちょうど先輩がフィリピンに行く予定があったところに同行することができました。そこからはトントン拍子で。両親に報告書を提出して、大学中退、留学の許可をもらいました。

 

― 人は何かに惹かれると、それが原動力になって、ものすごい行動力を発揮するんですね。

 

 


 

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死生観が変わったフィリピンでの生活

 

 

 

― フィリピンでの学びはどうでしたか?

 

黛さん:一体感のある主体的な授業でした。生徒が発言するのが当たり前で、とりあえず単位を取るために座って話を聞くだけの授業とは全く違いました。そして、「人はすぐに死ぬ」ということも実感しました。

ある日グループワークをしようと、友人二人と待ち合わせをしていたんですが、2時間待っていても二人が来なかったんです。遅刻はよくあることですが…。ようやく一人が来ると、「一緒にバイクで向かっている途中、事故でもう一人が死んだ」と伝えられました。ショックですよね。

でもフィリピンは、日本と違って治安が悪く、銃もありますし、事故だけでなく人の死を肌で感じる機会が多かったです。宗教的な考えから「神から与えられた命、自分の使命」みたいなものをみんなが常に意識していて。

私はクリスチャンではないですが、自分にはどうにもならないものはあって、でも全てが繋がっているような、大きな流れの中にいる自分というものを感じるようにはなりましたね。

 

また、ホームレスの家族がいたりメイド付きの豪邸に暮らす家族がいたりと、明らかな貧富の差を目の当たりにしましたし、教育がさらに貧富の差を広げているという現実も知りました。

そういった環境で実感したのは、「勉強が生きるための力になる」ということです。

勉強することは幅広い知識と視野、人とのつながりを生み出し、より多くのチャンスと生きる力を与えてくれるものだと考えています。これは、「なぜ勉強するの?」という問いに対する答えとして、塾の生徒たちに必ず伝えたいことです。

 

― …先輩が「危ない」と最初に止めた理由が分かりました。そして子どもたちに伝えたい、勉強する理由。力強いです。

 

 


 

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フィリピンからの帰国、運命の再会

 

 

 

― 死生観が変わるほどのフィリピン留学。次の進路はどう決めたんですか?

 

黛さん:5年間フィリピンで学び、さらに学びを深めるために違う国へ行くか、海外で就職するかなど、選択肢がいくつかありました。ただ、日本で新社会人として就職するという流れからは逸れていました。

何を選択するにもまずはお金が必要ということもあり、一旦日本に帰って考えようと帰国しました。すると空港から富岡に向かうバスの中で、自分が中学時代に通っていた、茂木進学塾の塾長と再会したんです!

それがきっかけで塾へ顔を出すようになったんですが、生徒たちと触れ合っている中で、今まで自分が培ってきたものが還元できている気がして。塾長からの「塾を手伝ってくれないか?」という誘いに、大きな流れ、運命のようなものを感じて快諾しました。それから10年近く働かせてもらい、ついには塾長まで引き継がせていただきました。

 

― おお〜!やっとフィリピンと塾長が繋がりました。運命的ですね。

 

 

 


 

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オンライン導入のメリット・デメリット

 

 

― コロナ禍での塾の現状についても教えてください。今はオンライン授業ですか?

 

黛さん:学校が休校になった際は、すぐにオンライン授業に切り替えました。導入が上手くいくか不安でしたが、保護者の皆さんが前向きに準備してくださり、うちの塾では全生徒がオンラインに対応してくれました。

今は、塾に来てもオンラインでも同じ授業が受けられるようにしています。

 

― オンライン授業、どんな手応えですか?

 

黛さん:生徒一人ひとりが端末を持っているので、黒板を使うことを止めて、画面で共有できるデジタルの資料にしました。黒板と違って席による見え方の差がなく好評です。また、送り迎えの負担が減り、時間に余裕ができたという声もあります。

ただオンラインだと、生徒の表情や手元が見えず、状況が分からないので、どこで悩んでいるかを捉えにくいのはデメリットです。あと自分でコツコツできる子はオンラインでも大丈夫ですが、宿題に取り組むのが苦手な子は、オンラインよりも実際に塾に来たほうが捗るようです。

 

― 休校による勉強の遅れが心配されていましたが、塾でのサポートは大変でしたか?

 

黛さん:それが、自主的な生徒たちが多く、遅れを感じないペースで勉強できています。例えば小学6年生のクラスでは、その年の授業がすでに終わってしまい、すでに中学の勉強に入っています。

 

― 遅れるどころか進んでいる現状もあるとは。意外でした。

 

 

授業中はフェイスシールドとマスクを着用。足元のテニスボールは、他の塾との交流で教えてもらったアイディアなんだそう。

 

 


 

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富岡に住んでいるからこそ

 

 

― フィリピンに住んでいたこともあり、外国の友人も多い中、富岡市に住んでいるのはどんな感覚ですか?

 

黛さん:世界的に見ても、世界遺産がある街に住んでいるのは稀有(けう)なことだと思っています。世界遺産になってから、地域の子供たちは富岡製糸場について学ぶ機会が増えていると思います。でも世界遺産になる前に学生だった自分たちは特別に何かを学んできたわけはありません。以前、タイ旅行に行ったとき、質の良いシルク製品が土産物として並んでいました。タイもシルク?と歴史的背景を学んでみると、富岡製糸場が関わっていたことを知りました。製糸場の歴史やシルクについて、自分から積極的に学ぶ姿勢を持ちたいと思っています。

地域の大人として、富岡製糸場に愛着を持って暮らしたいので、絹製品も頻繁に身に着けるようにしています。

 

― なんて立派な心掛け・・・同じ地域の大人なのに格差が(笑)。世界遺産・富岡製糸場のある街に住んでいることを意識して生活する。素敵なことですね。私もシルク製品を身に付けたくなりました!

 

 

 


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【おまけ】.カイコ焼き誕生秘話?

 

 

富岡製糸場の近くにある「くらさん家」で販売している、「カイコやき」。 実は、そのデザインも黛さんが担当しているそうです!

親戚のおじさんが経営するお店で、立ち上げの際にみんなでお蚕様の絵を書き、黛さんの絵が採用されたのだとか。

 

地域に愛着を持って暮らしていると、素敵な商品を作ることができるんですね!

 

くらさん家・カイコ焼きについて詳しくはこちら

しるくるとみおか「くらさん家」

 

 

入口の石像もデザインされたそうです。可愛いですね。

 

 


 

 

「どうして富岡に住んでいるの?」

ただその質問をするだけで、色々な物語に出会えることがあるんですね♪

みなさんの周りの素敵な人や物語も、ぜひ教えてください。

 

(ホシナ)

 

 


 

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