富岡市の暮らしと移住のWEBマガジン
まゆといと

2019.03.27 地域で働く

笑顔で乾杯するために。 入山 寛之さん【前編】

入山さん

富岡市で活動している人にインタビューをしていこう。

そう決めたときに、真っ先に頭に浮かんだのが入山寛之さんでした。

 

明治38年創業の衣料品店「いりやま」の店主であり、

21年目を迎えた「富岡げんき塾」の塾長であり、

この春オープンの “ まちやど ”「mabushiya」の代表でもある入山さん。

 

すでに新聞などで目にしたり、実際に会ったことがあるという人も多いかもしれません。

 

具体的にどのような活動をしているのかは、入山さんのSNSをフォローすれば大体のことがわかります。趣味がランニングで、休日にどこまで走ったか、夜はどこのお店で飲んだのか、なんてことまでも。

 

いつもそこには富岡の風景があり、主役はいつも富岡の人・ひと・ヒト。

 

「まち」を舞台に多くの人を巻き込みながら動き続ける入山さん。

その原動力は一体何なのか、聞いてみました。

 

 

 

 

宮本町商店街の中でも一際目を引く佇まいの「いりやま」の前を、店内をチラチラと覗きながら歩いてみると…

 

「おや?」という顔と目が合うと、入山さんが笑顔でお店の外に出てきてくれました。

 

遠くからでも見つけられる青いエプロンは、入山さんのトレードマークです。

 

 

 

 

おしゃれ着から下着に小物、学校の制服まで幅広いアイテムが並ぶ店内。

気さくなスタッフのみなさんとお客さんとの軽妙なやりとりや、客同士で盛り上がる光景には、居合わせたこちらまで笑顔に。

 

お店は1901年から続いていて、入山さんで4代目。

富岡から出て就職をしていた期間があったというが、なぜ戻って来ることにしたのでしょうか。

 

 


 

「何かすればすぐに返ってくるのが富岡」

 

― 大学卒業後は高崎の旅行会社に勤めていたそうですが、富岡に戻って家業を継ごうと思ったのはなぜですか。

 

入山さん:子どもの頃から店は「継ぐものだ」と思ってたんだよね。そう育てられてきたし。でも中学生くらいから「ダサい」「東京に出たい」と思い始めて、東京の大学に進学して。

そしたら就職の時になって親が、「継いでほしいけど強制はできないから、勤めるならそれでいい。ただ5年後、継ぐ意志があるかないかだけは教えてくれ。」と言ってくれて。

それで高崎で就職して5年働いて…旅行会社の仕事はすっごく面白かったし、上司の愚痴を言いながら先輩と酒を飲むのが本当に楽しかったんだけどだんだんそんな自分が情けなくなってきて。

「人に文句があるなら自分がやれ」と思い始めたんだよね。

売るものは違うし失敗したら全部自分の責任になるけど、自分の家でやりたいことを好きにやった方が面白いかなって。

それに会社にいて偉くなっちゃうと現場にいられなくなるけれど、自分はじかにお客さんと話をして、怒られたり喜ばれたり苦労したり、そういうのが好きだから。

 

 

 

 

ー そうして帰ってきて、何年になりますか。

 

入山さん:今50歳だから、21年。なんとか続けられました。

小さい街だともちろんいいことばかりじゃないけど、富岡にいると、やったことがすぐに返ってくる。ゴミ拾いとか手助けとか、ちょっと何かしてあげればお客さんがお店の宣伝してくれたり。

別に売上のために親切にしてるわけじゃないけどさ。みんなが見てくれていて、ちゃんと返ってくるのが富岡の良さだと思う。

 

 

ー 都会から来ると、周りに見られていることを窮屈に感じたりもしますが、逆に「見てくれている」と思えば…

 

入山さん:そう。考え方だよね。考え方。

 

 


 

 

21年前、すでに大型店舗や複合施設に押され、住民の商店街離れは進んでいました。

そこで入山さんは、「富岡のまちを元気にしたい!」という思いを持った商店街の若手メンバーと共に「富岡げんき塾」を設立。「笑顔で楽しく活動すること」をモットーに、様々な試みを行ってきました。

 

中でも、手作りゲームや地元飲食店の出店、ステージなどが並ぶ「げんきフェスタ」は5月の恒例行事として開催を続け、今年で21回目。

人が人を呼び、現在は100名以上のボランティアスタッフが参加する一大イベントに成長しています。

 

 


 

「楽しいからやってる」

 

 げんきフェスタでのスタッフ集合写真。(入山さんFacebookページより)

 

 

ー げんきフェスタの準備期間中、作業を手伝ってくれる人を募集しますよね。そこで入山さんは「楽しいことが好きな人」とか「メインは打ち上げです」といった感じで、「街のためにやりましょう!」と言わないところが私は好きです。

 

入山さん:はじめは「街のため」とか「商店街活性化」とか言ってたけどね。でもある人に、「商店街活性化のために市民が集まってくれて、何かやってくれたりしないよね。」って言われて。

そりゃそうだよね、他人の家の売上のために手伝ってくれって言われてもね。「入山さんだったらやる?」って聞かれて、やるわけないじゃんって(笑)。

「この場所が楽しみだ」とか「このグループが楽しみだ」とか、そいういう感じで楽しくやってればみんなも来るだろうし。最終的には街のためになったり、自分ちの売上につながったり、そういうオマケが最後に来ればそれはそれでいいよねってなって。

最近は本当に、完全に、「楽しいからやってる」という感じ。

 

 

ー もう「街のため」とは考えずにやっている?

 

入山さん:逆に言えば、なんとなく「街のためになっている」という実感があるから、もう別にいいやって。

 

― そう思えるようになったのは続けてきたからこそですよね…

活動が周知されるまでは、一人ひとりに協力をお願いしていく中で、なかなか理解が得られないということもあったと思うんです。その状況は変わってきましたか。

 

 

 

 

入山さん:わかってくれない人は以前も今もいる。それは変わらない。最初は、わかってもらえないことが悲しくて悲しくて…涙が出るほど悲しい出来事がいっぱいあった。

 

― そうでしたか…

 

入山さん:その頃はたぶん「俺が合ってるんだ」みたいな独りよがりな部分があったと思うんだよね。

 

― 相手の考えを変えたいという思いがありましたか。

 

入山さん:それが正しいと思ってね。でも人それぞれ状況が違うから考え方も違うし、そんなにみんなを誘うこともできないよなって。

逆に考えれば、気持ちが繋がっている人はちゃんとそれなりにいるんだよね。そういう人たちと繋がっていけばいいやって。

別に、そうじゃない人との繋がりを切ったわけじゃなくて、入れるときには入ってもらえればいいし。っていう、そういう考え方にだんだんなってきたかな。特にきっかけがあったわけではないけど。

 

― みんながみんな納得するやり方というのは難しいですよね。

 

入山さん:勝手にいろいろやって、怒られたこともたくさんあった(笑)

 

― そうなんですか!

 

入山さん:「面白そう」と思ったら、やりたくなっちゃうんだよね。

 

 


 

熱い想いを持った仲間と新しいことを始めるも、描いていた状況通りにならず、続けることが苦になり、消滅してしまった…。こんな経験がある人は、もしかしたら多いかも。

 

入山さんには悩みを理解し助言をしてくれる人たちとの出会いがあり、そして、何かを掲げそれを達成することよりも、自分の中から湧き出てくる「やってみたい」「楽しい」という気持ちを大切にすることを選んできたのです。

 

 


 

 

「げんきフェスタはなくなっちゃってもいい」

 

 

昨年のげんきフェスタ。様々な人が関わることで新しい演出が生まれている。

 

 

ー げんきフェスタも今年で21回目。特にここ数年は、個人も団体も大勢の人が参加してすごい盛り上がりですよね。こうなることは考えていましたか?

 

入山さん:こうなったらいいなとは思い描いていたけれど、方法がわからなかった。最初は一緒にやる人を募集しても全然集まらなかったもん。「3年に1人来ればいいよね」なんて言ってたくらいだから、本当に少しずつ増えて。

 

 

ー 人がたくさん集まるようになったきっかけにSNSがあると思うんですが、入山さんはFacebookで人を誘うのが本当に上手いなぁと感心しながらいつも見てます。「こういうことを手伝って欲しい」「こんな人に来て欲しい」と具体的に書くから、「それなら私がやります!」って手が上げやすいんです。

 

入山さん:それはもうさ…屈折20年だよ?(笑)。ハズレることもあるけど数撃ちゃ当たるって感じで日々チャレンジだよね。もともと自分はアナログ派だからFacebookは嫌だったんだけど、勧められてやったらすごくハマって。今は俺のためにあるんじゃない?ってくらい(笑)。

読んでくれた人が手を上げやすいのは、書く時に来て欲しい人の具体像を想像して書いているから。「〇〇君に来て欲しいなー」って特定の人を狙って書くと、本当に来るよ。

 

 

ー なるほど!その手は使えますね。

 

 

 

 

入山さん:今でも常に「手伝ってくれる人が減っちゃったらどうしよう」とは考えるよね。ただ、なんとなくだけど、「断れないからやるか」という人が減ってきて、自主的にやりたくてやってるという雰囲気の人が増えてきた気はする。

だから以前は手伝ってくれる人に対して「ありがたいけど申し訳ないな」という気持ちがあったけれど、今はもう全然なくて。「当然来るんでしょ?」みたいな(笑)。

 

 

ー 皆さんやる気満々で集まってきてますね。自主的に動ける人が増えてくると、入山さんがやっていたことを他の人が引き継ぐということも出てくるのかな、と思いました。今後のげんきフェスタはどのようにしていきたいですか。

 

入山さん:げんきフェスタは別になくなっちゃってもいいと思ってる。やりたい人はもしかしたらいるかもしれないけどさ、それだけやる気がある人だったら何も引き継がなくても、自分がやりたいようにやればいいでしょ。

 

 

― 確かにそうですね。

 

入山さん:げんきフェスタはおじいちゃんになっても細々とやっていって…後からできたイベントの方が規模が大きくなってもさ、べつに勝ち負けじゃないし。違うイベントでも想いとかやり方が一緒で、そういう意味で広く繋がっていけばこっちは「うっしっし」って感じだよね。

メンバーだけでやらないでいろんな人を誘ってやるとか、役割分担されていなくても自然とみんなが作業を手伝うっていう「げんきフェスタ方式」が、何となく「富岡方式」として続いていったら魅力的だし、富岡の色が出ていいんじゃないかなって思う。

 

 


 

 

げんきフェスタで昨年から取り入れた、子どもたちにも運営に関わってもらう「子どもスタッフ」。

「誰かと一緒にやれば楽しい」「何かを手伝ってお礼を言われると嬉しい気持ちになる」子どもたちにもそういった体験をしてもらうことで、“げんきフェスタ方式” が染み込み、引き継がれ、やがて富岡の色となっていく・・・。そんな未来が、入山さんの頭の中には描かれているようです。

 

 

後編へつづく

入山寛之(いりやまひろゆき)さん【後編】

(ナカヤマ)