富岡市南蛇井(なんじゃい)で出会った、ちょっと珍しい光景・・・
あるお宅の敷地内に、立派な線路が引かれています。
この線路を管理しているのは、ここで50年近く床屋を営んでいた
大日方 康博(おおひなた やすひろ)さん。
実はこの方、多くの人に鉄道ファンとして知られている方なのです。
ぜひ掘り下げたお話を聞きたいと思い、取材をさせていただきました。
.
鉄道ファンになったきっかけ
まずは、床屋さんになった経緯から伺いました。
「昔、おやじが上信電鉄の床屋をしていて、そのおやじの夢ってのが…『いつか息子と一緒に店をやりたい!』ってことだった。 私は本当は電車の運転手になりたかったけどね。 『床屋は儲かるんだぞ~』って、うんまいこと言われて床屋を始めたわけです。」
なるほど~、小さい頃から電車が大好きだったんですね。
その床屋さんは昨年2020年に閉店しましたが、店内には今も大日方さんの宝物がたくさん展示されています。題して『小さな松本零士展』です。
鉄道ファンになったきっかけは何だったのでしょうか。
「きっかけは『デキ』です。 上信電鉄で、1両の機関車で10両以上の貨物を引っ張って走る姿にすごい勇気をもらったんですよ!!もみじ平総合公園 に置いてあるのがそうです。」
公園の西ゾーン(美術博物館前)に展示されている「デキ型電気機関車2号機」
上信電鉄株式会社の電気機関車「デキ」は、大正13年にドイツから輸入され、貨物輸送の原動力として平成6年まで活躍しました。その後、3両あるうちの1両が富岡市に寄付され、市の重要文化財として展示されています。
この写真を撮っている時に、偶然にも『デキを愛する会』の方にバッタリお会いして、清掃日があることを教えていただきました。
2021年12月12日、晴天のもと行われた清掃作業。
現在も『デキを愛する会』の皆さんで定期的に清掃しており、もう25年間も続いているそうです。
皆さんの姿に、これまでの熱いストーリーを感じました。素敵だな~。
.
中村さんとの出会い
大日方さんは1994年、元・鬼石中校長で、藤岡市で蒸気機関車の模型を作っていた、中村泰三さんと出会います。
「私が屋根裏で鉄道模型を走らせているという事を耳にしたらしく、 中村先生から家に来たいと電話が入ったんです。その時は、電車好きの普通のおっちゃんだと思ったわけ。 酒の一升瓶持ってきて、『開通祝いだ』なんて言ってね(笑)。そしたら、『私も鴨居鉄道やってるんだよ』と言うんですよ。ほら、家に鴨居ってあるでしょ?その鴨居に鉄道を走らせてるから、見に来なよって言われてね。
その後お宅にお邪魔したら・・・、自宅にある工作室で、人が乗れる大きさのSL(蒸気機関車)の模型を作っているじゃないですか!!それを見たら、“鴨居鉄道” なんてどうでもよくなっちゃって(笑)。ボイラーまで手作りなんだから!それで思わず、『すごい!!私に1両作ってください!!』と、お願いしたんです。 その時の感動は、今でも記憶に焼き付いています。 そう、、、乗れるんだ!オモチャじゃないよ!・・・って。」
中村泰三さん(左)と大日方さん
「それで、作ってもらう事になったけど代わりの条件があったわけ。 それは、『ただ作るだけじゃなくて、走らせる場所を見つけろ』ということ。早速、女房の実家に場所を決めて、中村先生と女房のおやじが線路を引いてね。 私は一週間に一度、現場監督のように行きました。 ただ、ゲージ(レールの幅)の狭い線路だったので乗っていて脱線するんです。それで、今度はデキの模型を作って欲しいとお願いしました。
でも中村先生は、『電気機関車はつまらない』って言うんです。中村先生がなぜ蒸気機関車にハマるのかというと、難しいからなんですね。だから毎週通って、是非作って欲しい!とお願いをしました。『先生の機関車を有名にしますから』と。」
中村泰三さん作のデキの模型
思いが通じ、中村さんにデキの模型を作ってもらった大日方さん。1995年に仲間たちと『デキを愛する会』を発足させます。
「当初はあちこちに招かれて、デキの模型を持って会の仲間とイベントへ行きました。そして、一年に一度はもみじ平総合公園のデキの掃除に行ったりと、そんな活動をしてきたんです。」
甘楽町総合公園にて
「SLを作ってもらった時には、埼玉の広報に載ったのがきっかけになり関東を中心に取材が来ました。 でもデキの時には、私からNHK前橋放送局の方へ『こんな方がデキを作りました』と逆に売り込んだんです。 するとデキは全国で取り上げられ、 中村先生のところへたくさんの取材が来ました。
そのうち、中村ご夫妻と私と女房が大使館へ招かれました。デキが晴れ舞台に出たわけですよ! 中村先生からは『SLしか作る気はなかったけど、熱意に負けて電気機関車を作ったら、約束通り世に出してくれた。 本当に作らせてもらって感謝している』と言われてね~。 デキが有名になって、中村先生に恩返しができて良かったです。」
群馬県庁にて
高崎市少年科学館にて
「本当によく走らせました・・・。でもね、イベントで走らせて欲しいと要請がくるんだけど、イベントは日曜日でしょ。床屋の休みが第3日曜日なので、中々都合が合わずに残念なことも随分ありました。」
.
松本零士さんとの出会い
そして1997年、大日方さんは『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』で知られる漫画家・松本零士さんと出会います。
「上信電鉄の乗客数が著しく減ってきた時に、新聞に “ 銀河鉄道999 の第3作目の映画化 ” という記事が出たんです。それを見た私は松本零士先生宛に、『上信電鉄にはデキという機関車があるんです。悪者でも何でも良いので映画に登場させてください!』と、デキを売り込む手紙を送りました。 そしたら、電話がありましてね…
『君の手紙には感動した』と。『もう映画は具体的に進んでしまっているから諦めてくれ。でも、何か協力できる事があれば協力したい。来て話を聞かせてほしい』と言われたんです。」
松本零士さん(右)と大日方さん
「松本先生に会いに行った私は、 『5月5日、子供の日に臨時列車を走らせたいです!それに原画を提供していただけたらありがたいです!』とお願いしました。すると承諾してくださり、お忙しい方ですが、8年間その原画を送り続けてくれました。
私はホームセンターで大きなコンパネを買ってきて、デキの形に合わせて丸ノコで切って、ペンキを塗って準備しておいてね。 原画をもとにしたシールをコンパネに貼り付けて、それを家族総出でカッティングですよ。たった一日のために、デキを走らせるために・・・。」
松本零士さんの原画
上信電鉄 ファンタジー号(下仁田駅にて )
上信電鉄 ファンタジー号(富岡市田篠付近にて)
「デキが電車を牽引するイベントを、『ファンタジー号』と名付けて8年間やりました。でも9年目をやろうとした時に、デキが故障しちゃってね。それで出来なくなったんですよ。
そこで、ファンタジー号用の原画を使って、上信電鉄に 『銀河鉄道999号』 を走らせようということを思い立ち、上信電鉄沿線市町村連絡協議会懇談会の仲間に伝えました。すると、満場一致で『やりましょう!』と。あの時の興奮は一生忘れられないです!
松本先生にお願いの電話を入れたら、『やっていいぞ!その代わり8年分の原画を使ってくれ』と言ってもらいました。資金のことは皆でなんとかしようと、一生懸命寄付金集めをしました。」
上信電鉄 銀河鉄道999号(富岡市上小林付近にて)
上信電鉄 銀河鉄道999号(富岡市田篠付近にて)
そうして実現した『銀河鉄道999号』は、高崎駅〜下仁田駅を結ぶ上信電鉄の鉄道路線を、2008年~2011年の3年間走りました。
このご縁がきっかけで、松本零士さんの関係者から大日方さんに提案があり、『第1回 零士ワールドサミット』が2012年に富岡市で開催されたそうです。
鉄道から空へ・・・
鉄道に情熱を注いできた大日方さんが、今ハマってることは何でしょうか。
「旅客機に乗って故郷を眺めることです。 南蛇井上空を通過する国内線旅客機の航路と座席位置を調べて、ツアーでそれに乗っています。 旅客機の窓から南蛇井を撮影するためには、真上ではだめ。北か南にずれた航路が良くて、そのためには妙義山の上空が最適ですね。」
大日方さんが撮影した動画
そんな大日方さんに、最後に、好きな機関車の名前を教えていただきました。
「デキ!!と、言わないといけないところだけど、 蒸気機関車ではC62、電気機関車ではEF58、そしてデキ!(笑)」
.
.
【鉄道ミニ知識】
C62のCは動輪が3つある機関車を意味します。有名なD51は動輪が4つです。
EF58のEは電気、Fは動輪が6つある機関車を意味します。
.
.
「数々の感動と喜び、そして感謝の思いを忘れない」と話していた大日方さん。
その姿に、これぞ “男のロマン” ・・・なのだと感じました。
(マツモト)
この投稿をInstagramで見る