富岡市の暮らしと移住のWEBマガジン
まゆといと

2020.09.30 移住-Iターン

【養蚕体験・研修所「大丸屋」】浅井 広大(あさい ひろお)さん

額部地区南後箇の静かな里に建つ、存在感のある大きな古民家。

二階の屋根の上に小さな屋根が乗ったような造りは、養蚕農家の家屋によく見られる「越屋根」と呼ばれるもので、市内にはこのような住宅が数多く残っています。

 

空き家だったこの建物を、市は平成28年に改修。翌年、養蚕業の継承・養蚕体験・移住体験・地域の交流の場を目的とした施設としてオープンさせました。

周辺住民に馴染みのある地名から「大丸屋」と名づけられ、二階は養蚕の作業場、一階は管理人の住居として活用されています。

 

 

築約140年の古民家に耐震工事を施した、養蚕体験・研修所「大丸屋」。

 

 

二代目管理人として昨年から大丸屋に暮らしているのは、5年前に群馬に移り住んだ浅井広大さん。

 

4年前から養蚕に従事している浅井さんは、この場所で繭の生産量を増やすために、大丸屋の隣の敷地に養蚕用のビニールハウスを建設。また、桑畑とは別に畑を借り、養蚕ができない冬期には野菜の出荷も行っています。

 

 

新規で、一人で、しかも若者が、お蚕を育てて繭を出荷することで生計を立てている。それがどれだけ珍しいことなのかは、この地域に住んでいる人ならなんとなくわかるのではないでしょうか。

 

 

桑の葉を食べる蚕

 

 

富岡市においての繭生産量は、昭和43年に3010戸の養蚕農家で1441トンあったものが、平成26年には12戸の養蚕農家で約4.2トンになるまで減少。

富岡製糸場の世界遺産登録後の平成27年以降は、地域団体や民間事業者の新規参入が増え、繭の生産量は増加傾向にある(令和元年は6.9トン)とは言え、養蚕農家の高齢化は止まりません。

 

そのような状況の中で、浅井さんはなぜ養蚕業の継承という道を選んだのでしょうか。

 

 

 


 

【浅井 広大(あさい ひろお)さん プロフィール】

静岡県出身。大学卒業後、甘楽富岡地域で農業研修を行い、青年海外協力隊として2年間ネパールへ。帰国後、甘楽町地域おこし協力隊員として活動しながら養蚕の研修を受け、独立。2019年4月から養蚕体験・研修所「大丸屋」管理人。養蚕と長ネギの栽培を行っている。

 


 

 

 

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「こういう人になりたいと思った」

 

桑畑から運んだ桑の枝を蚕に与える浅井さん。

 

 

大学を出て青年海外協力隊を経験し、農家の道へ。農家になることは、学生時代から考えていたんですか?

 

浅井さん:大学で農業経済の勉強をしていた時は、国家公務員になって日本の農業を盛り上げていこうと思っていました。このままだと農作物を作る人がいなくなるし、農家がいなくなったら地域も荒れ果ててしまうので。

でもまずはプレイヤーにならないと、と思って青年海外協力隊に応募してネパールに行ったら、現地の農家さんが単純にかっこよく見えたんです。

彼らと対等に話がしたい。技術を持ってからまた行きたい。と思い、帰国後に農業をやることにしました。

 

 

ネパールへの派遣前に農業研修で滞在していたのが、甘楽富岡地域だったんですよね。こちらに戻って来たのはどうしてですか。

 

浅井さん:研修先の農家さんが、東日本大震災の後で大変だったにも関わらず、技術はもちろん経営の状況まで何でも教えてくれたんです。そういう人たちがいる場所ならと、ここで農業をやることにしました。

場所はお金があれば手に入るけれど、教えてくれる人はなかなかいないですよね。

あとは、協力隊から帰ってきて農業をやっている先輩たちを見て、いいかなと思って。

 

村西さんもその先輩の一人ですね。村西さんのインタビュー記事

 

 

繭を作る準備ができた蚕をまぶしに移動させる「お蚕上げ(上蔟)」の作業。

 

 

農業の中でも、養蚕をやろうと思ったのはなぜですか。

 

浅井さん:この地域は養蚕が盛んだったという話をたまたま聞いて。見てみたくなって、富岡市内で養蚕をやっている金井一男さんのところに連れて行ってもらったんです。

その時に、「これは面白いのかもな やる価値あるよな というかやらないとな」と思って。実際に研修を受けたら、「面白いな 金井さんかっこいいな こういう人になりたいな 頑張ろう」になりました。金井さんと出会えたのは大きいですね。

 

この地域だからこその出会いですよね。やってみたいと思ったら研修もちゃんとできますし。※群馬県では、養蚕の担い手を育てる ぐんま養蚕学校 を開講しています。

 

浅井さん:研修の受け入れ先という点では、富岡は最高の場所だと思います。金井さんや高橋純一さん(甘楽富岡蚕桑研究会会長)が、しっかりとした技術をちゃんと教えてくれますから。ただ、養蚕農家も平均年齢が75歳くらいなので、今教わらないとですね。

 

 

蚕をハウスから大丸屋の二階に運び、量って回転まぶしに移動させる。地域によって様々なやり方があるそう。

 

 

師匠である金井さんや高橋さんから言われた言葉で、印象に残っているものはありますか?

 

浅井さん:昨年、環境が変わったこともあってか繭の収穫が悪い成績で、金井さんのところに相談しに行ったら「お蚕は一度失敗しないと絶対にわからないから」と言われました。以前から「一度大きな失敗をしな」と言われていたのはこれか、と思いましたね。今年は大きく崩れることなくいけています。

高橋さんは、「お蚕は毎回1年生だ」と。40年くらいやっている人が言うんですからね。あと、「蚕は稽古」。それはみんな言います。

 

 みなさん、いろんなお話をしてくれるんですね。

 

 


 

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「養蚕を学ぶのにこれ以上ない場所」

 

 

大丸屋の2階に吊り下げられた回転まぶし。浅井さんは年に5回養蚕を行っている。

 

 

浅井さん:群馬の人は裏表なく言ってくれるし、面倒見がいい気がします。道具とかもくれますし。と言っても道具はもう製造されていないから、もらうしかないんですけどね。富岡はまだ各家庭の2階に眠っている養蚕道具があるので、それは助かります。

 

教えてくれる人がいて、情報交換もできて、道具もあって。こういった地域は全国的に見ても珍しいですかね?

 

浅井さん:個人で養蚕をやっている人は各地にいても、地域でやっているところは少ないです。養蚕文化を残そうとしている人達から見たら、富岡は天国みたいな感じですよ。一人でやっていると、比較対象がいないので情報交換でもできないし、今回の繭が良かったのか悪かったのかもわからないですから。

 

窓際で繭に光を当てて選別。繭を作る途中で死んでしまったものは取り除く。

 

 

これから養蚕を始めたい人には絶好の土地なんですね。ただ、養蚕に興味を持って研修を受ける人はいても、浅井さんのように独立している人はかなり少ないのかな?と思います。仕事にするには難しさがありますか。

 

浅井さん:お蚕は5月から10月の間がシーズンなので、それ以外の半年間に何をするか、という課題がひとつ。もうひとつは、お蚕は広い場所が必要なので、そこのハードルが高いです。養蚕に使われていたような古民家は、空き家があったとしても改修しないと使えない場合が多い。自分の場合はたまたま大丸屋が見つかったけれど、見つからなかったら辞めていたと思います。

家がなければ、広い工場を使うとか、ビニールハウスを2棟くらい建ててしまえばいいんですけど、それを建てる場所もなかなか。桑を植えるための畑の方は、比較的借りやすいと思いますが。

 

場所の問題が大きいんですね。行政がこういった施設を整備することの必要性がわかりました。ところでぶっちゃけた話、養蚕は食べていけるだけ稼げるんでしょうか?

 

浅井さん:半年間別の仕事をやる前提で、今の繭の価格であれば、野菜を作るのと同じくらいなので大丈夫です。富岡製糸場が世界遺産になったことで、養蚕農家が急激に減少した時代の価格よりもだいぶ上がったので。

 

 

繭かきと毛羽取りが一緒にできる機械。回転まぶしもこの機械も、使われなくなったものを譲り受けた。

 

 

ー 冬の間のお仕事は、浅井さんは長ネギの栽培をしているそうですが、農業でなくてもいいわけですよね。

 

浅井さん:長ネギを始める前は、甘楽町の聖徳銘醸で働いていました。酒造りは見事にお蚕と時期が被らないんです。

あとは、お蚕上げの時にたくさんの人手が必要なので、そこをどうするか。昔のような3世代同居の家族経営ならできたんですけど、僕のような場合はその時だけ人を集めないといけない。僕はたまたまいろんなご縁があって、富岡の方と甘楽町のおばちゃん、あと聖徳で働いている人にも来てもらっています。いなくなってしまったらどうしよう、というのはありますね。

 

今の子どもたちは学校でお蚕を飼育しているので、抵抗なくお蚕上げに参加できる人材は育っているんじゃないでしょうか。私も呼ばれればお手伝いに行きます!

 

 


 

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「養蚕を農家の選択肢の1つに」

 

JA甘楽富岡の集荷場での荷受け。市職員らが汚れた繭がないかもう一度確認し、計量する。

 

 

 現在市内の農家さんで本格的に養蚕をしている若い人は、浅井さんの他には高橋直矢さん(⇒JA甘楽富岡のホームページ で紹介されています)だけ。そういった状況でも、養蚕を続けていこうと思えるのはなぜですか。

 

浅井さん:意地かな?(笑)あと、何かがありそうだから。

こういったものは、これから見直されると思うんです。だからできれば僕は、この場所でずっと養蚕をやりたい。そのために不利な状況であってもできる限り手は尽くしていきたい。感覚的に、それが面白いかなって。

あとは、頑張って教えてくれた人たちに、少しでも報いたいというのもあります。

 

 

集荷場で今回の品種について情報交換をする浅井さん。出荷を終えた農家さんは皆安心した様子で、和気あいあいと会話をしていた。

 

 

― 養蚕業のこれからについて考えていることはありますか。

 

浅井さん:最近は細い糸が求められているので、そういう品種を飼って出していくのがキーかなとは思いますけど、農家は繭を出すまでで精一杯なんですよね。畑の桑の管理もしていかなきゃいけないし、糸になってからのことにはなかなかタッチできない。だから僕らが消費者に訴えられるのは、現場を見せるとか、観光で来てもらうとか、そういうところにあるのかなと思っています。

 

 

― 今後の目標を教えてください。

 

浅井さん:今年度は900kg近くの繭を出荷できる予定なので、来年は1トン超えを目指しています。

それから、いい繭を作って、情報発信をして、養蚕をやりたい人を一人でも増やしていくための活動をしていきたいです。ナスを作ったりネギを作ったりするように、「面白いからお蚕やってみよう」っていう選択肢の一つになってくれたらいいなと。

甘楽富岡は農家全体が新しい仲間を増やそうと頑張っていて、受け入れる土壌はしっかりあるので、養蚕にとどまらず、こっちに来る人を増やしていけたらなと思います。

 

 

 

 


 

 

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「かっこいい」と心惹かれる人がいる方へ。

自分が「面白い」と思える方へ。

 

そうやって自分の気持ちに正直になった結果、現在の道を歩んでいる浅井さん。その姿は年上の私から見ても、「かっこいい」と感じました。

 

私もかっこいい大人を目指して突き進もう。

そしてこの富岡を、かっこいい大人で溢れさせよう。

 

(ナカヤマ)

 

 


 

 

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