「二人とも富岡市にいて、しかもどちらもお蚕の仕事に携わっている。これは奇跡としか言いようがないです。」
目の前にいるカップルは、瞳をキラキラと輝かせてそう話し始めました。
東京で生まれ育った彼女と、高崎で生まれ育った彼。つい2年前まで神奈川で大学生活を送っていた二人は今、富岡市内の別々の職場でお蚕を育てています。
富岡市を舞台にした奇跡のストーリーを、紐解いていきましょう。
【安西 飛鳥(あんざい あすか)さん】
東京都杉並区出身。2018年4月、パーソルグループの特例子会社であるパーソルサンクス㈱入社。2019年4月、妙義町にある同社の事業所「とみおか繭工房」へ移動、富岡市に移住。2019年7月、富岡市シルクレディ就任。
【中島 直紀(なかじま なおき)さん】
群馬県高崎市出身。2018年4月、富岡市役所入庁、富岡市に移住。
経済産業部 農林課 蚕糸園芸係勤務。
大学教授との出会い
― お二人は同じ年に同じ大学に入学したことがきっかけで知り合い、同じ研究室に所属していたそうですね。そこに入ったきっかけと、どのような研究をされていたのかを教えてください。
飛鳥さん:私は小6の自由研究でクモの糸の研究を始めて以来、中学・高校とずっと研究を続けていて、将来も研究職に就きたいと思っていました。高校生の時に東京農業大学に虫の糸を専門にされている教授がいることを知り、その教授にどうしても会いたくて個人的に連絡をしたんです。
飛鳥さん:多忙な教授とたまたま時間が合い、お会いして2時間くらい語っていたら意気投合して、「高校生のうちからでいいからゼミにおいで」とお誘いいただきました。それが生物機能開発研究室(旧称・昆虫機能開発研究室)というところです。大学は後でちゃんと受験して入りました。
― そういったこともあるんですね。10代の時間をほとんどクモの糸の研究に注いでいたということにも驚きです。直紀さんも、もともと昆虫に興味があったんですか?
直紀さん:全くありませんでしたし、今もありません。お蚕は可愛いなと思いますけど、昆虫は苦手です。研究室には3年生から入るんですが、すでに入っていた飛鳥さんからずっと「楽しい研究室だよ」という話を聞いていたので、「おもしろそうだな」と思って入りました。
直紀さん:生物機能開発研究室は、生きものの構造を利用したものづくりをしたり、生きものそのものの力を使った研究もしています。植物や水なども研究対象です。実際にモノにして地域に落としていくことが重要視されていたので、地域の人にインタビューをしたりもするんです。僕は人と関わることが好きだったので、そういうところがいいなと思いました。
― 研究室にこもって研究をする、という感じではないんですね。
飛鳥さん:教授は全国を回って講演会をするような方なんですが、一緒に行きたいという生徒がいれば同行させてくれて、講演や企業開発の場で発言する機会も与えてくれるんです。
直紀さん:農家のおじちゃんたちとの打ち上げにポンと入れられたりもしました。いろんな土地で知らない大人に混ざって喋る機会があったので、かなり鍛えられましたね。
飛鳥さん:私はずっと大学院や研究職に進むことを考えていましたが、そうやって地域に出る機会を与えられていくなかで「早く社会に貢献したい」と思うようになり、就職しようという考えに変わりました。
― 教授は社会に出る上で大切なことを教えてくれたんですね。
撮影場所:富岡製糸場 貴賓室(通常非公開)
糸がつないだ富岡との縁
― 飛鳥さんは、お蚕、そして富岡との接点はいつごろからあったんでしょうか。
飛鳥さん:私は「クモの糸を衣服などに活かせるようにする」という研究をしていたので、すでに産業になっているシルクの機能性についても大学に入ってから勉強を始めました。その中でシルクの面白さとお蚕の可愛さを知って、どんどん惹かれていったんです。
富岡に来たのは大学1年生の時、先輩に誘われて富岡製糸場に来たのが初めてです。その時に一番感動したのが、山があって鏑川が流れていてというこの景色。なんて綺麗なところなんだろうと衝撃を受けました。それから何度かプライベートで富岡に来て、映画『赤い襷』も観て、「富岡に行きたい!」という気持ちが強くなっていきました。
映画『赤い襷』にも、ポール・ブリューナがこの景色を見て感激するシーンがある。
飛鳥さん:そして就職活動を考え始めた2017年の4月、教授が『世界遺産にふさわしい特産品づくり』というテーマで富岡で講演をすることになったんです。
私たちも研究室でシルクの研究をしてきた中で「シルクを残していくのにふさわしい土地は富岡だ」という気持ちがあったので、「私たちにも話す時間をください!」と教授に頼み込みました。
― そこで一体どんなお話をされたんですか?
飛鳥さん:富岡製糸場の展示を見ると、「これからのシルク」というスペースが少ししかないんですね。私たちは最先端のシルクとこれからのシルクの可能性について面白いと思っているので、それがとてもショックだったんです。
富岡製糸場内の展示。最後に衣類以外のシルクの活用法の一例が書かれている。
飛鳥さん:なので「私は富岡に入ってそこを広めていきたい。だから富岡で就職したいんです!」とその場で宣言しました。
するとその講演後、「あなたにぴったりの会社があるよ」と声をかけてくださった方がいたんです。それが、今私が働いている『とみおか繭工房』の当時の養蚕責任者の方でした。
― ドラマのような展開!それがきっかけでパーソルサンクスに就職したんですね。
※とみおか繭工房は、障害者の雇用促進と地域貢献を目的としたパーソルサンクス株式会社の拠点の1つ。2017年6月に富岡市妙義町に開設。群馬県の養蚕業の課題を解決すべく、桑園の管理、養蚕、絹糸を使ったアイテムの製作などを行っている。
飛鳥さん:入社して一年目は東京の本社勤務だったんですが、養蚕研修に呼んでもらい三ヶ月ほど富岡で過ごしました。富岡での日々は本当に居心地が良くて、東京での生活を息苦しく感じるようになってしまって…。「早く富岡に行きたい」と会社にアピールをし続けて、今年の4月に念願かなって富岡に来ることができました。
― 会社の方に熱意が届いたんですね。そして7月からはシルクレディとしても活動されているんですよね。
飛鳥さん:シルクレディの存在は大学生の頃から知っていて、やってみたいと思っていました。まだ移動してきたばかりなので今年の応募は見送ろうと思ったんですが、会社に相談したら「ぜひやりなよ」と言ってもらえたので、じゃあやってみよう!と。とても理解のある会社なんです。
― 大学の研究室と富岡市との接点、そして今の会社との出会い…なんだか運命を感じますね。
飛鳥さん:本当に運命的な出会いがあって、全てがつながっていて…まさにシルクの糸がつなげてくれたのかなって。人生において何も悔いはないですね。
人に惹かれて富岡へ
― 直紀さんはなぜ富岡で就職することにしたんですか?
直紀さん:僕は最初は東京に就職しようと思っていました。理由は、カッコいいから(笑)。
でも研究室に入ったら、教授が群馬のことをやたら褒めてくるんです。「群馬があるから今の日本がある」「今の横浜があれだけ栄えているのは富岡のシルクがあったからだ」と。最初は「何を言ってるんだ?」と思ったけれど、研究をしていくとやはり群馬は凄いところだったんだとわかって、それまで何とも思っていなかった地元にだんだん興味が湧いてきました。
直紀さん:研究室の活動でいろんな地域に出ていく中で富岡もそのうちの1つだったんですが、富岡の人たちは何回か行くと顔を覚えてくれるんですよね。それがすごく嬉しくて、大学生の時から第二の故郷のように思っていました。なので自然と「ここに来たいな」という気持ちが出てきて、富岡市内の企業を調べたりしていて。その中で、市役所は色んな部署が経験できると知り、勉強好きな自分の性格に合っていると思い採用試験を受けました。
― そして見事合格して、富岡での暮らしが始まったんですね。実際に来てみて、いかがですか。
直紀さん:何も後悔がありません。大学時代の教授のように面倒を見てくれる先輩が職場にいて、街のイベントに誘ってくれて、人とのつながりをもたらしてくれて…それが本当に楽しいです。昨年サファリマラソンに出場した時には、僕の名前を覚えてくれた人たちからたくさん声をかけてもらえて、すごく嬉しかったですね。
新しい養蚕業を自分たちの手で
― 別々の道を歩みながらも、今こうして同じ場所にいるお二人。それぞれの目標を教えてください。
飛鳥さん:とみおか繭工房では、これまでの養蚕で捨てられていたものを余すところなく使って6次産業化するという取り組みを始めています。例えば、生糸になれず今までは捨てられていた「くず繭」と呼ばれる繭からの商品開発や、お蚕を育てる上で大量に残る桑の枝を使った桑和紙作りを行っています。障がいのある方々が作業できるよう、いかに安全に簡単にできるかを模索しながら、やっと今形になってきたところです。
これを会社で独り占めするのではなく、第二次養蚕業として富岡市から広めていきたい。そうすることで若い人にも新たな養蚕の価値を伝えたい。それが今の一番の目標です。
桑の枝の皮から作る「桑和紙」の試作品。
直紀さん:僕は本当はすごく人見知りなんですが、人と関わる楽しさを富岡で知ることができたので、どんどん外に出ていって富岡市の4万8千人と顔見知りになりたいです。
お蚕が好きでキーホルダーもPCのデスクトップもお蚕なんですけど、それを見た人からは「変わった人」として印象に残るみたいで(笑)。好きなことを隠さず、変な人として覚えてもらえればいいなと。そしていろんな人に「中島さんが言うなら…」と言ってもらえるような、信頼される市職員になりたいと思っています。
― 確かに直紀さんに初めてお会いした時、お蚕への愛が強い人としてかなり印象に残りました。職場でも自宅でもお蚕を飼育していて(→市民養蚕)、それを本当に楽しそうに語っていたので。
飛鳥さん:二人とも、プライベートの時間もずっとシルクのことや富岡市のことを話しているんです。もう話したくて仕方がないんですよ。
中島くんは市役所でしかできないことを、私は民間企業だからできることをそれぞれやりながら、伝統的な養蚕を残しつつ、最先端のシルクと富岡市の魅力をたくさんの人に広めていきたいと思っています。
1時間話し終えた時、「まだまだ話したいことはたくさんあります!」と言ったお二人。笑いあり涙ありのインタビューで、ここに書ききれなかったエピソードも実はたくさんあります。
養蚕の未来・富岡市の未来の話をすると多くの大人は悲観的な言葉を並べるけれど、彼らは違いました。
そして彼らが何度も発したのは、「楽しい」という言葉。
私はそれが嬉しいと伝えると、直紀さんはこう話しました。
「楽しくやるというのは大学生の時から二人とも心がけています。苦しそうにしている人とは一緒に仕事をしたくないですし、楽しそうにやっていると自然と人が集まってくるんですよね。」
確かにその通り。こうして書いている間も、私はまた二人に会って話を聞きたいという気持ちになっています。
彼らが富岡の風土や人に惹かれてこの土地に移住してきたように、彼らに惹かれて富岡の地を選ぶ若者もこれから現れることでしょう。
シルクがつなぐ奇跡のストーリーは、まだまだ続く・・・
(ナカヤマ)