富岡市の暮らしと移住のWEBマガジン
まゆといと

2026.04.24 地域で働く

上野臣吾さんが語る 七日市藩の真実と歴史の見方

みなさんは「歴史」はお好きですか?

私ナカヤマは正直、子どもの頃から苦手です。

でも、克服したいという気持ちはずっとありました。

というのも、私の趣味は旅行。観光地を訪れるたびに、「歴史を知っていたら、もっと楽しめただろうな」と感じていたからです。

 

そこで「まずは地元の歴史から」と、富岡製糸場に何度も足を運びました。

すると最近、旅先で明治時代の話がスッと頭に入るようになってきたんです!

よし、この調子で次は「七日市藩」に詳しくなって、江戸時代に強くなるぞ!

 

…と意気込んでみたものの、富岡製糸場のように見て学べる場所があるわけではなく、どこから手を付ければいいのかわかりません。

思い切って、「七日市藩について教えてくれる方はいませんか?」と市役所に相談しました。

 

そうしてご紹介いただいたのが、上野 臣吾さんです。

七日市藩邸跡がある富岡高校からほど近いご自宅にお邪魔し、さっそくお話をうかがいました。

 

 

 

【上野 臣吾(うえの しんご)さんプロフィール】

富岡市七日市在住。元群馬県立高崎東高校校長。文筆家。国語教師、富岡製糸場の解説員などを経て、現在は歴史講座の講師として活動。母校である富岡高校の新校歌の作詞も手がけている。

 

 

 


 

 

 

「人質だった」は誤り?前田利孝をめぐる歴史の真相

 

上野さん:七日市藩の初代藩主は、加賀前田家初代当主である前田利家の五男・前田利孝です。利孝については、「幼い頃、義母の芳春院(まつ)と共に、人質として江戸に送られた」という説が広まっていますが、これは大きな間違いであると、この機会に申し上げたいのです。

 

― 試しに「前田利孝」で検索してみると、そのように書かれたウェブページが出てきますね。間違いとはどういうことでしょうか?

 

上野さん:慶長3年(1598年)に豊臣秀吉が亡くなり、その1年後には、秀吉の盟友である前田利家も亡くなります。豊臣政権が続くのか、それとも徳川政権へ移るのかという、大きな転換期を迎えました。

そのような中、「前田家が徳川家康を暗殺する計画がある」という噂が流れます。これを受けて、利家の長男・利長と、その母である芳春院は、家康への弁明に奔走しました。

そして慶長5年(1600年)、前田家は芳春院を“人質”として江戸に送ることで、家康への忠誠を示します。

 

― 芳春院は人質として江戸へ行ったのですね。その際の記録は残っているのでしょうか?

 

上野さん:残っています。かなりの人数で江戸に行っていますが、もし利孝が一緒だったとすれば、芳春院の隣には彼の名前が記されているはずです。ですが、記されているのは家臣の名で、一行の中に利孝の名前は見られません。

 

― では、なぜ芳春院と利孝が一緒に江戸に送られたという説が広まったのでしょうか。

 

上野さん:大正6年に出版された伝記『芳春夫人小伝』(近藤磐雄著)の中で、芳春院が江戸に赴く場面に「利家公の第五子利孝君(旧七日市藩祖)を伴はれ」と書かれており、これが元になって広まったと考えられます。しかし、著者が何を根拠にそのように書いたのか、参考文献がまったく記されていないのです。

 

― それでは信憑性がありませんね。実際に利孝は江戸に行ったのでしょうか?

 

上野さん:利孝は、慶長9年(1604年)に利長の命で江戸に下り、芳春院に育てられました。『加賀藩史料』の中にある「本多氏古文書」には、「芳春院が江戸にいた時、利孝を江戸へ下し、芳春院のそばに置き、折々将軍の目にかけられた」と記されています。

このことから、利孝は“人質”としてではなく、将軍家に仕える人材として見込まれ、幕府と加賀藩(前田家)の橋渡し役として期待されていたことがうかがえます。

実際に利孝は江戸で、2代将軍・秀忠の小姓(そばで仕える役目)となり、その後、旗本となりました。芳春院が金沢へ戻った後も江戸にとどまり、幕府側の立場で活動しています。

 

― 人質というよりも、むしろ重要な役割を担っていたのですね。

 

 

 

 

 


 

 

 

旗本から大名へ──  七日市藩誕生の背景

 


富岡高校敷地内に建つ御殿(旧七日市藩陣屋正殿)。旧藩邸の建物が残されている例は全国でも少ない。

 

 

上野さん:前田利孝は「大坂の陣」で徳川秀忠の軍に旗本として加わり、功績をあげました。これにより、幕府からの支給と加賀藩からの援助を受け、元和2年(1616年)、1万14石の領地を与えられて七日市藩を開きました。

旗本から立藩した例は多くはなく、利孝の七日市藩立藩は、稀有な出世を遂げたといえます。

 

― 七日市藩は、加賀藩から枝分かれしたのではなく、利孝が幕府に見込まれたことで生まれたのですね。

 

上野さん:その後も七日市藩は、加賀藩からの経済的な援助を受けながら、江戸幕府と加賀藩の間に立ち、両者を仲介する役割を担い、双方から高く評価されました。

群馬県内で、立藩から廃藩置県まで同じ場所で続いた藩は数少なく、七日市藩はその一つに数えられます。

 

― 七日市藩がそれほど珍しい藩だったとは知りませんでした。七日市地区に住む方々の地域への愛着の高さも、そうした歴史と関係しているのかもしれませんね。

 

 

シーボルト事件(1828年)に関わったとして七日市藩で永牢処分になった、稲部市五郎種昌がいた牢獄跡。地元の医療の発展に貢献したとして碑が建てられた。

 

 

 


 

 

 

歴史との出会いと、そこからの学び

 

― 「ネットの情報が間違っている」という入りから、とても引き込まれました。ご自身で文献を調べる熱意が素晴らしいなと感じます。上野さんは昔から歴史がお好きだったのでしょうか。

 

上野さん:それが、30代まではまったく興味がなかったんです。長く勤めていた富岡高校から、30代で高崎市内の高校に異動になり、自宅が上州七日市駅の近くということもあって、上信電鉄で通勤するようになりました。電車に乗っている間に本を読もうと思い、司馬遼太郎の全集を買って片っ端から読み進めていったところ、「ああ、歴史ってこんなに面白いんだ」と気づいたんです。

 

― この駅を通学で使っている富岡高校の生徒のみなさんにも、ぜひ読んでみてほしいですね。

 

 

上野さんが読んでいた本は、『上州七日市駅文庫』として駅の待合室の本棚に並んでいる。貸し出しも可能。

 

 

― 富岡高校といえば、2018年に富岡東高校と統合して、制服も校歌も新しくなりました。その新しい校歌の作詞を上野さんが担当されたそうですが、依頼を受けた時は、どんなお気持ちでしたか?

 

上野さん:とても責任を感じました。滅多にないことだからとお引き受けして、期限も限られていたので、毎日10時間以上取り組んでいました。1か月近く考えに考え、直しに直し……350回くらいは書き直していますね。「これでいいのかな?」「もっと直すところがあるんじゃないか?」と、ずっと迷っていたんです。

結局、思い出したのがロシアの学者・パブロフの話です。犬の条件反射で知られている人ですが、あるとき「その理論が絶対に正しいという自信はありますか?」と聞かれたそうなんです。すると、「これ以外にないと思えるまで考え尽くした。だから正しい」と答えたというんですね。

私も何百回と書き直して、これだけ考えたんだから、「ここで納得するか」と考えることにしました。

ああいうとき、歴史というか、昔の人の言葉や考え方が、自分の決断の役に立ちますね。

 

― 歴史を知っていることで、自分の人生の決断にも変化が生まれるのですね。

 

上野さん:歴史とは、「過去に学び、未来に備えるもの」だと思います。何か大きな決断をする時に、未来がどうなるかはわかりません。でも過去には、時代と状況は違っても、参考になる事例が残されています。私は、優れた経営者ほど歴史を学んでいると感じています。

 

 

駅の本棚の上に掲げられた詩も上野さん作。ペンネームの「川波遼平」は、好きな作家の名前から一文字ずつ取ったのだそう。

 

 

 


 

 

 

小さな疑問から広がる、歴史の世界

 

実は七日市藩の話に入る前に、上野さんは『枕草子』の一節を紹介し、こんなお話を聞かせてくれました。

 

上野さん:中納言が扇の骨を見て「これまで見たことがないほど立派な骨だ」と言い、それに対して清少納言が「それは扇の骨ではなく、クラゲの骨のようですね(見たことがないから)」と返した──。私はこれを読んだ時、「平安時代の人々は、クラゲに骨がないことをどうして知っていたのだろうか」と疑問に思ったんです。

そこで、生成AIや国立国会図書館のデジタルコレクションを使って調べてみました。すると、平安時代にはすでに、クラゲが載っている辞典のような書物が存在していたことが分かったんです。

 

…このお話を聞いて、最新のツールを活用しながら、気になったことをすぐに調べる上野さんの姿勢に、私はとても感銘を受けました。

 

 

 

 

上野さんのお話を聞いてみたい、歴史を学んでみたいと思った方は、七日市黒川地域づくりセンターで開催されている歴史講座に足を運んでみませんか?

歴史初心者でも安心して受講できますので、ぜひお気軽にご参加ください。

 

 

\七日市黒川地域づくりセンターからのお知らせ/

 

今年度は、上野さんを講師に迎え、「七日市藩」や「小栗忠順」をテーマにした歴史講座を開催予定です。

各講座の参加者募集については、七日市黒川地域づくりセンターだより「ななくろ」にてお知らせします。

 

 

 


 

 

この記事には書ききれないほど、たくさんのお話をしてくださった上野さん、本当にありがとうございました。

取材中に理解できなかった言葉も、帰宅後に調べてまとめていくうちに、これまで断片的だった歴史の知識がつながっていくのを実感し、次第に面白さを感じるようになりました。

そして今、「大河ドラマを見てみよう」「歴史マンガを読んでみたい」と思い始めた自分に、とても驚いています!

 

歴史は難しいものだと思っていましたが、知れば知るほど面白いものですね。

 

(ナカヤマ)

 

 


 

 

おでかけしようよ!ふらっとTOMIOKA 〜七日市さんぽ〜

 

富岡高校教諭 波多野 愛夏さん