はじめまして!
このたび『まゆといと』市民編集者になりました、「しおん」です!
唯一の大学生編集者ということで、ちょっぴりプレッシャーを感じつつも、地元のことを深く知れる機会を頂き、とてもわくわくしています。
記念すべき私の人生初記事の内容は、自己紹介!
教師を夢見る大学生の生い立ちを、簡単に書いていきたいと思います。
純富岡産なんです
私の出身は富岡市。父も母も富岡出身で富岡育ちと、とても濃い富岡DNAを受け継ぎ、ここまで成長してきました。
地元の保育園、小学校を経て、これまた地元の中学校・高校では吹奏楽部に所属。青春時代の多くを、キラキラした楽器と魅力あふれる音楽と共に過ごしました。
たまたま私が高校生になった年は、富岡東高校のラストイヤー!女子高と共学、両方に通えるというレアな経験をして、高校生活の幕を閉じました。
富岡高校の文化祭「桜槻祭」での演奏風景
高校を卒業して、、、
高校卒業後は、小学生の頃からずっと夢だった教師を志し、群馬大学共同教育学部へ進学。
しかし、この年は新型コロナウイルスの大流行…。入学式は中止、全ての授業がオンラインでの開講。憧れの大学生ライフはどこへやら。ひたすら自宅にこもり、パソコンと向き合う日々が続きました。
2年生になると徐々に対面授業が増え始め、富岡と前橋を頻繁に往復するように。所属しているサークル活動も同じ頃に再開し、この頃から失われた大学生活を少しずつ取り戻し始めました。
3年生の時には、教職課程の修了に欠かせないビッグイベント「教育実習」を前橋市の小学校と富岡市の中学校で履修。そして4年生になった現在は、長年の夢を叶えるべく、試験勉強と大学4年間の集大成である卒業研究に励んでいます。
大学の授業での1コマ!足尾銅山巡検のグループ発表会でした!
サークル活動!障がいのある子ども達とレクリエーションを通して交流しています!
単純に富岡にルーツがあるだけの私ですが、私の富岡人生を語る上で絶対に外せないことがあります。それは小さい頃から地元でずっと続けている「八木節」です。
大学生になってからは、色々なタイミングで「将来のこと」を考えるようになりました。でも、一度たりとも富岡を離れる選択肢を、将来設計図の中に組み込んだことはありません。私がこんなにも地元に愛着を持てているのは、この「八木節」のおかげなんです。
運命の出会い
八木節を始めたきっかけは、友達のお母さんの「お菓子がもらえるから一緒に八木節行こうよ」という一言。当時4歳だった私は、「お菓子がもらえる」という甘い誘惑に負け、すぐに八木節に行くことを決めました。
次の土曜日、八木節をやっている地元の公会堂へ行き、私は驚きました。それは、おじさんやおばさん、お兄さんやお姉さんたちが、カラフルな何かを持って踊っていたからです。
そう、幼い私は八木節を食べ物だと勘違いしていたのでした。
4歳児の頭では、「やぎぶし」を「かつおぶしみたいなやつ」と考えるところまでが限界だったんです。
想像と全く違う「やぎぶし」を目にした私ですが、すぐにその「やぎぶし」の虜になりました。愉快な笛の音色や軽快なリズム。おじさん、おばさんたちの元気でにぎやかな掛け声。そして何よりも、八木節に関わっている人の温かさから来る居心地の良さ。
八木節を始めてから「行きたくない」と一度も思わなかったことが、幼いながらに楽しんでいた証拠です。
そして小学生になってから、八木節が群馬県の伝統芸能であることを学校の授業で知りました。
普段何気なく関わっていたものがとても価値のあるものだと気付いてからは、ただ八木節に行くのが楽しいという気持ちだけでなく、「おじさん、おばさんが守ってきたすごいものを、これからも守っていけるようにしたい」という思いが強くなりました。
私が所属している『宮崎八木節保存会』には、小さい子からお年寄りまで、様々な世代の人がいます。世代関係なくみんなが八木節を通して繋がり、伝統芸能を守りながら、地域の繋がりも絶やさないようにしているんです。
近年どんどん少なくなっている地域コミュニティーでの「多世代間の繋がり」が、ここにはありました。
八木節の演目「花輪」(子ども達はこの踊りから覚えます)
ヨコのつながり
学校の登下校の時にはいつでも、八木節で顔見知りになったおじさん、おばさんが声をかけてくれました。
「しおん、おかえり、気を付けて帰んなねー!」
「お母さんの所にきゅうり持っていきなー!」
「弟は元気にしてるんかい?」
地域の日常のほんの1コマ。ここに地元の人の温かさがぎゅっと詰まっていると思います。子どもの頃の私にとって、帰り道のちょっとした時間が大きな安心感を与えてくれました。人の温かさからくる安心感が、今でも「地元を離れたくないな」と思うことに繋がっているのかなと思います。
しおん的富岡市の魅力
私にとって富岡市は、いい意味で「普通」な場所。
生活に必要なものは大体揃う。少し出歩けば自然に触れられる。治安がいい。色々なことが普通で、平均点。けれど「普通」ってどこにでもあるものじゃない。普通だからこそ、色々な人のライフスタイルにマッチして、何とも言えない居心地の良さや住みやすさがあるんだと思います。
でも!あくまで「普通」は富岡の魅力の1つです。この「普通」の他にも、人情深くて温かい人がたくさんいる「ヒト」の魅力、ちょっとお散歩してみれば歴史の変遷に出会える「レキシ」の魅力。たくさんの魅力が集まって、多くの人を惹きつける地域になっていると思います。
私は歴史が好きなので、古代から江戸時代以降までバラエティ豊かな年代の歴史に出会える富岡は最高の場所です。
最近ハマっている「コト」
最近のハマり事は、食品サンプルを集めたり、身近な食べ物をモチーフにしたガチャガチャを回したりすることです。小学生の頃、甘い香りのするパンのスクイーズ(握ったり伸ばしたりするおもちゃ)にハマってから、「食べ物グッズ愛」が止まりません。最近はブームもあってか色々な場所でガチャガチャを回すことができるので、無駄遣いも止まりません。
「食べられるはずのものが食べられない」という矛盾した状態がたまらないのです。この気持ちに共感してくださる方がいたら、ぜひ語り合いたいです!
そして、もう1つハマっているのがスペイン語の勉強です。いつか南米に行って「自分の目で古代の遺跡を見たい」という野望があり、南米の公用語に多いスペイン語を大学1年生の頃から少しずつ勉強しています。
まだまだ初心者レベルしか話せないのですが、“ Persevera y Triunfaras!”(継続は力なり)だと信じて、楽しみながら勉強を続けていきたいと思います。目標は大学卒業までに西検(スペイン語技能検定)4級の合格!頑張ります!
人生の夏休みも終了間近
最後に、私がまゆといと市民編集者になろうと思ったきっかけを少し。
大学4年生になり、「学生」の肩書きを使えるのも残りわずか。ということで、今までにやったことのないライターに挑戦しました。
実は、私は小学生の頃から作文に苦手意識があり、文章を書くのはあまり得意ではありません。でも学生でいられるのはあと少し。苦手なことだってやってみたら楽しくなるかもしれないし、地元を新しい視点から見て、自分の視野を広げていきたいという気持ちから、気が付けば市民編集者の仲間入りを果たしていました。
小学生の頃の恩師が、「サイよりゾウ」とよく言っていました。これは「めんどくサイよりがんばるゾウ」のことで、「めんどくさい」のようなマイナスなことを言う前に、まずは挑戦してみようということです。この恩師の言葉通り、「サイよりゾウ」マインドで、みなさんに面白いと思ってもらえる記事を書いていけたらいいなと思っています!
どうぞよろしくお願いします!
(しおん)