そのお店は表通りからは見えない。
そのお店は週に1日だけ営業している。
そのお店は10人入ればいっぱいになる大きさで、
赤ちゃんから子育てを終えた世代まで男女問わず様々な人が訪れる。
そしてそのお店の中にはいつも、穏やかな空気が流れている ───
富岡市中心街にひっそりと佇む小さなカフェ『book cafe ebisu』を営むのは、10年前にこの地に移住した鈴木亜紅子さん。
鈴木さんは自らのことをあまり多く語らないけれど、雰囲気や感覚に惹かれ、いつの間にか book cafe ebisu は私にとって居心地の良い場所のひとつになっていました。
一体なぜ富岡に来て、お店を開くことになったのか。
鈴木さんのこれまでを、改めて紐解いてみたいと思いました。
【 鈴木 亜紅子(すずき・あくね)さん プロフィール 】
群馬県太田市出身。関西の大学に進学後、東京で就職。様々な土地を経験し、富岡市に移住。2011年、自宅の蔵を改装し「book cafe ebisu」を開業。現在、中学生・小学生・園児の3人の男子を絶賛子育て中。
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縁あって、富岡に。
― ご出身は太田市なんですね。しばらくの間群馬を離れていたということですが、どんなことをされていたんですか?
鈴木さん:高校を卒業後、京都が大好きなあまり関西の大学に通っていたんです。でもその後は特に行きたい会社も見つからず…。ギリギリになって、たまたま東京の旅行会社に「拾ってもらった」という感じで就職をしました。
大学が語学系だったので、旅行会社ではシンガポールや香港のホテルの手配をする仕事をしていました。その後、結婚をして引っ越す必要があったので辞め、今度は貿易関係の派遣の仕事に就きました。
― 語学を活かしたお仕事をされていたんですね。結婚後もしばらくは東京に?
鈴木さん:出産で仕事を辞めて、夫の転勤で茨城県に行くまで東京にいました。夫の仕事は転勤が多かったので、茨城県内でも短期間で引っ越したりしていていました。
― 茨城からなぜ富岡へ?
鈴木さん:子どももいるので転職しようという話になって、高崎に職場がある会社に転職することが決まったんです。その時に母から「富岡の実家が空いているから、もしよければ住まないか」と、13年間空き家になっていたこの家を勧められて。
「それなら富岡に住んで、高崎まで通おう」ということになって、富岡に来ました。それがちょうど10年前です。
― 鈴木さんから見て、母方のおじいちゃんおばあちゃんのお家になるんですね。
引っ越して来る前は、富岡に対するイメージって何かありましたか?
鈴木さん:遊びに来ていたのも小学生までだったので、特にイメージは何も…。「寒い」ということくらいしか(笑)。
そうして鈴木さんが住むことになった家は、中心街の「上町通り」に面しています。かつては『大黒屋』という名の醤油・味噌の販売を行う商店で、歴史は長く安政7年から昭和60年まで営業していたとか。
その敷地内で味噌蔵として使われていた蔵が、現在のbook cafe ebisuです。
富岡産の野菜を使用したランチ。素材の美味しさを引き出す味付けで、噛みしめるほどに味わい深い。お皿は昔、大黒屋の隣りにあった食堂のもの。
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ないなら自分で作る。行けないから来てもらう。
― お店をはじめることはいつ頃から考えていたんですか。
鈴木さん:この蔵がかなり傷んでいて、台風でも来たら瓦が飛んで近隣に迷惑がかかるかもしれないという状態で、一体どうするか…と夫と考えていて。直すにしても、その後何に使うのか。ただの物置にするのもなぁ…と。
私は私で、これから富岡で仕事をするにしても、お互いの実家が離れているので子どもが病気になった時のことを考えると、雇われは難しいなと。だから自分でできる仕事を何かやりたいと思っていました。
あと、近所に気軽に入って休める場所が少ないなとも感じていて。お散歩中にふらっと寄って、お茶を飲んで一息つけるところが家以外にも欲しいと考えていたんです。
― それらが全て合致して、カフェをやろうということになったんですね。富岡との縁、この建物との縁があったからこそ生まれたお仕事だったと。
鈴木さん:「ないなら自分でやろう!」と思って。人生何があるかわからないですね。
ドリンクやスイーツにも体への気遣いが表れている。優しさ溢れる味に、自然と心が緩んでいく。
鈴木さん:あと、車の運転ができなかったというのも大きいかもしれない。富岡に来るまでは電車でなんとかなっていたので、ペーパードライバーだったんです。高崎の市街地まで車で行くのは今でも怖くて…。高崎に行けば色んなお店があるだろうけど、行けないから自分の家でやるしかない!と(笑)。
― もともと富岡で育っていると、車で高崎まで行くことが当たり前なので「富岡に〇〇がない」ということはさほど気にならないのかもしれませんね。
鈴木さん:お店でワークショップを始めたのもそういう理由です。子どもがいると遠くまで連れていくのが大変なので、「だったら先生に来てもらおう!」って。自分が参加したいからやってるんです。
book cafe ebisuではカフェの営業日以外に、年間を通して様々なワークショップを開いています。パン教室やフラワーアレンジメント、地元の作家を講師に迎えた陶器の絵付け体験やカゴ編みバッグ作り、東京から講師を呼んだ『天体望遠鏡づくりと宇宙のはなし』などがこれまでに開催されました。
座敷席で行われ、店内にはおもちゃもあるので、小さな子ども連れでも気兼ねなく参加できるのも魅力です。
春休みには親子を対象にした『手作り木琴づくり』が行われた。夏休みには今年も『天体望遠鏡づくり』が開催される予定。
神流町の『mugiccoぱん』によるパン教室は毎月行われている。リピーターや遠方からの参加者も多い。
― こちらで初めてパン教室が行われた時に、私も当時1歳の子どもを連れて参加しました。子どもと二人きりになることが多かった時期に、お座敷で子どもを遊ばせながら作業ができて、他の参加者の方とも交流できたのでとても楽しかったです。
鈴木さん:子どもを連れて公園に行っても、あまり他の人と会わないですもんね。私も最初は友だちもいないし、誰とも情報交換できなくて…。
お店を始めてからは、お客さんから色んなお話を聞かせてもらって、今ではここが自分の実家のような気分。居合わせたお客さん同士で情報交換をする様子を見られるのも嬉しいです。
馴染みのない土地で子育てをしていく中で感じた孤独と、「こんな場所があったらいいな」という想いを元に、お店を作り上げていった鈴木さん。
しかしまだまだ自身も子育て中。現在はカフェの営業日を金曜日のみに抑えいます。一体どのようにお店を続けることが望ましいのか、常に手探り状態だそう。
店内に置かれている本は主に、児童書と育児関連の雑誌。年代の古いものから新しいものまで並べられている。
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常に模索中。
鈴木さん:例えば、ベビーカーでお散歩中に子どもが寝ちゃって「この間にちょっと休憩したいな」とか。庭仕事の合間に「この格好のまま一息つきたい」とか。そんな時にふらっと入れる場所でありたいなと。
でもそのためには、もっとお店を開けないといけない。けれど自分の生活がちゃんとしていないといい商いはできないだろうし…。お店を開けていない日に誰かにこの場所を利用してもらえたら、というのも考えたり…。
子どもが育つまでどうするのがいいのか、ずっと模索中です。
― お客さんも鈴木さんの状況を理解していて、急にお子さんの病気でお店が休みになったりしても「いいよいいよ」と言ってくれる方が多いような気がします。なのでご自分のペースでやってもらえれば、と客目線では思うのですが。
鈴木さん:それに甘えてしまっていいのかという思いもあるし、「これがいい!」っていうのがわからないですね。この街も変化していくだろうし…。
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この街にいるからこそ。
― この街での「役割」ということも考えたりしますか?
鈴木さん:お店に来てくれた方にはついでに街を歩いてもらいたいので、「他にもこんなお店がありますよ」と紹介したり、そういったことは心がけています。他のお店ともつながっていければなと。
それで先日、岡田新聞店さんと「ビブリオバトル※をやりたいね」という話になって。それならイルピーノさんたちが主催している『PLAYGROUND※』でやったらいいんじゃないか?ということで、6月にやることになりました。
※ビブリオバトル・・・みんなで好きな本を持って集まり、1人5分で本を紹介。発表の後「どの本を一番読みたくなったか」の投票を行い、チャンプ本を決めるゲーム。
※PLAYGROUND・・・年に数回まちなかで開催されている、音楽と食をゆるく楽しむイベント。日常の延長線上にある、ふらっと立ち寄れる空気感が魅力。
― そういった楽しいことが増えていくと、ワクワクしますね。現在は模索中とのことですが、将来のお店について考えたりもしていますか。
鈴木さん:お店は、細く長くをモットーに続けていきたいと思っているんです。「あれ、まだやってたんだ」って言われるような(笑)。
せっかくこの場所にいるので、街の人や他のお店とうまくつながっていきながら、この街ならではのことをやっていければ。そう思っています。
◆営業日、ワークショップはSNSでご確認ください
Facebook⇒ book cafe ebisu
Instagram⇒ @bookcafeebisu
ゆっくりと、静かなトーンで話す彼女との会話の中で感じたこと。
それは「等身大で生きている」ということ。
飾らず、無理せず、かと言って手抜きはせず、できることはやり抜き、常に謙虚な心を持つ。
そんな姿にこちらも安心感を覚え、肩肘を張ることが馬鹿らしく思えてきてしまいます。
「いいよいいよ」
鈴木さんが醸し出すその空気は見知らぬ客同士の間にも自然と流れ出して、お店全体が穏やかな空気に包まれるのです。
(ナカヤマ)
↓ 2020年の鈴木さんの近況はこちら ↓
↓ 2021年度 富岡市「移住定住コンシェルジュ」に就任しました ↓
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